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美しい若狭湾を守ろう!

〜原子力施設誘致を5度阻止した小浜市民のたたかい〜

明通寺住職 中嶌哲演さんに聞く

 若狭湾沿岸には原発が15基も集中立地しています。しかし、福井県の小(お)浜(ばま)市民は原子力施設の誘致を四十数年間も食い止めています。小浜市で反原発運動をつづけておられる中嶌哲演(てつえん)さんに運動の教訓などを聞きました。(編集部)

 原発阻止で一致団結

 ──「原発設置反対小浜市民の会」について教えてください。
 
 【中嶌】小浜市民は原発誘致を3度、使用済み核燃料貯蔵施設誘致を2度にわたって阻止してきた。
 原発誘致の動きが最初に表面化したのは1968年から1971年にかけてである。関西電力小浜原発の誘致を、福井県知事と小浜市長が表明した。市議会などでも誘致の動きが表にでてきた。誘致場所は小浜市内外海地区の奈胡崎である。
 反対の口火を切ったのは内外海漁業協同組合である。同漁協は、1969年2月の総会で原発設置反対を決議した。そして1971年12月、「原発設置反対小浜市民の会」が結成された。小浜市の原発誘致反対運動は、この小浜市民の会が支えることになった。
 小浜市民の会は6つの加盟団体と3つのオブザーバー団体が結集して発足した。加盟団体は、原水爆禁止小浜市協議会、福井県高等学校教職員組合若狭ブロック、福井県宗教者平和協議会小浜支部、部落解放同盟遠敷支部、若狭青年原電研究会、そして社会党の支持母体にもなっていた若狭地区労働組合評議会である。オブザーバー団体は、内外海原子力発電所設置反対推進協議会、小浜市連合青年団、日本共産党小浜市委員会である。
 当時、原水禁運動や反原発運動、部落解放運動は全国的に分裂していた。小浜も例外ではなかった。そのため、「市民の会」は準備段階ですさまじい議論が交わされた。「○○とはいっしょにやりたくない」という意見もひんぱんにだされた。「政党は除くべき」という意見もだされた。しかし、「なんとしてでも原発設置を阻止する」を共通の目的とし、一致団結することが必要である。バラバラではたたかえない。準備会を8、9回つづけるなかでこのことが合意された。
 小浜市民の会は会長や代表を設けず、加盟団体による幹事会の合議制で運営することになった。会内外の窓口を担う事務局長にはわたしが選ばれた。わたしは福井県宗教者平和協議会小浜支部として準備会に参加していた。会員はわずか5人である。その小団体出身のわたしが事務局長に選ばれたのである。

■メインスローガンは「美しい若狭を守ろう!」

 ──小浜市民の会のスローガンは「美しい若狭を守ろう!」ですね。
 
 【中嶌】小浜市民の会は、「原発反対」をサブスローガンにし、「美しい若狭を守ろう!」をメインスローガンに掲げた。
 若狭湾は漁民の生活の糧(かて)であった。同時に、若狭の海の幸は関西や中京方面の台所にどんどん入っていった。また、リアス式海岸なので美しい海岸が多い。白砂青松の海岸もある。そのため、とくに高浜町の海岸は関西や中京方面からの海水浴のメッカとなっている。ひと夏に、高浜海岸だけでかつて120万〜130万人の海水浴客が訪れた。小浜市も美しい海岸をもっているので、大勢の海水浴客がやってくる。1970年代は民宿も盛んだった。
 このように、若狭湾は美しい自然・風土が生活と密接に結びついている。「美しい若狭を守ろう」というスローガンは暮らしと密着している。

図3-1

■住民自治に依拠した運動

 ──小浜市民の会は、原発などの設置を阻止するためにどのような運動をくりひろげましたか
 
 【中嶌】結成後の年明け(1972年)の幹事会において、小浜市に原発を設置しないことなどを求める請願署名を市議会に提出することを決めた。
 最初に、市内各地の小学校や公民館で学習会をひらいた。小浜市は140の行政区でなりたっていた。すべての加盟団体とオブザーバー団体が分担・協力しあい、全行政区でポスター貼りやビラ配布、署名集めをくりひろげた。
 若狭青年原電研究会の20歳の青年が小さなシンボルマークを提案した。それは青・緑・赤の三重の同心円である。美しく青い若狭の青い海を抱きこむ緑の半島や岬、そしてそれをとりまく原発群が危険な赤で表現されている。最外円の赤には二つの意味がこめられている。危険な原発群と同時に、その危険を美しい故郷を守る市民の団結の輪に変えようというものである。このシンボルマークはたいへん好評だった。市民の家々や自動車の窓にも貼りつけられた。
 このような運動によって、請願署名は最終的に1万3500余集まり、有権者総数(2万4000人)の過半数に達した。請願署名はこの年(1972年)の3月と6月の市議会に提出した。
 市議会では、社会・共産・公明の3党5人の市議が総務委員会や本会議で請願署名の採択を主張した。だが、21人の保守会派が反対したため、不採択となった。
 この間、総務委員会の傍聴者は数人、20人、40人、80人と、回を追って増えた。本会議は傍聴席が満員となった。小浜市民の会は、その経過をビラで明らかにした。賛否の議員名も明記した。不採択の挙手をした議員の地元でその不当性を切々と訴えた。青年原電研究会のメンバーもマイクを握った。「市民の会ニュース」では、議会審議の経過を会の内外へ発信しつづけた。
 前述のように、請願署名は不採択となった。ところが鳥居史郎市長は、この6月議会において、小浜原発の誘致を断念すると宣言した。鳥居市長はそれまで原発誘致を表明しつづけていた。しかし、過半数の市民が原発誘致に反対しているという民意を汲(く)んでの断念宣言であった。これによって小浜市民の第一次原発誘致阻止運動は決着した。
 その後1975年に原発誘致の動きが再浮上した。12月市議会の閉会直前に、保守会派が「発電施設の立地調査推進決議案」を提出したからである。これは、原発誘致に直結しかねないものであった。小浜市民の会ははげしい反対運動を展開した。300人の市民大集会や街頭デモもおこなった。その結果、1976年3月の市議会本会議で当時の浦谷音次郎市長が「原発は誘致しない」と言明した。
 1984年には、無投票で当選した吹田安兵衛市長が小浜原発の誘致に動いた。しかし、1987年の市長選挙で市民が対立候補を当選させたので、原発誘致は消えた。
 その後1999年ごろから、使用済み核燃料中間貯蔵施設を誘致する動きが浮上した。市民は誘致反対署名にとりくんだ。集めた署名は、有権者2万4000人のうち1万4097人に達した。一方、商工会議所や建設業界は、誘致を求める請願署名にとりくんだ。こちらは3466人分しか集められなかった。保守派が多数を占める市議会は、誘致側の請願書を採択し、誘致推進の決議を強行した。しかし市民は、2004年の市長選において、中間貯蔵施設反対を公約した村上利夫市長を再選させた。そのため、中間貯蔵施設の誘致も阻止することができた。
 中間貯蔵施設を誘致する動きは2008年にも浮上した。これも運動によって阻止した。
 このような小浜市民の運動を総括すると、憲法で保障されている地方自治や住民自治の原則に依拠したもので、最も正攻法のやり方ではないかと思っている。まず圧倒的多数の住民が運動をおこない、その運動を市議会や市長につきつけていく。そして、最終的に首長(市長)の宣言を勝ちとって原発や使用済み核燃料中間貯蔵施設の誘致をストップさせるというやり方である。あるいは市長選挙のさい、市民の意思を代弁する公約を掲げた候補者を市長に選ぶ。そういう運動をくりひろげるなかで、5度とも市長の宣言や市長選で決着をつけた。

■重要ポイントをつかむ

 ──中嶌さんは問題のとらえかたや市民への訴えかたも重視されていますね。
 
 【中嶌】市民の大多数を味方につけるためには、重要なポイントをつかみ、それを市民にわかりやすく伝えることが必要だ。
 科学者の講演を聞き、わたしたちはこういうことを知った。大飯原発の3、4号機の2基を1年間動かすだけで広島型原爆の2000発分の死の灰と長崎型原爆の60発分のプルトニウムをつくりだす、ということである。これは明々白々な事実である。わたしたちはこの客観的な事実を市民になんども宣伝した。こまごました枝葉末節のデータを市民に提供してもあまり意味がない。
 それから、若狭には原発が15基も集中している。関西の大電力消費のために、なぜ若狭にばかり原発がつくられるのか。それは、原発が安全ではないことを電力会社が知っているからだ。原発がほんとうに安全で必要ならば、大都市圏の海岸部に建設すればいい。この問題は、「安全神話」や「必要神話」が崩壊していることを客観的に示している。わたしたちはこのことも市民に訴えた。
 
 ──小浜市民は原発設置を阻止しているものの、15基の原発に包囲されています。
 
 【中嶌】小浜市民の会は大飯原発3、4号機の増設にも反対した。大飯原発については、小浜市民は実質上の地元住民である。大飯原発の10キロ圏内の住民分布をみると、小浜市民は約1万9000人近くで、75%を占めるからだ。「地元」とされるおおい町は3600人、14%でしかない。
 ところが、大飯原発はおおい町に立地している施設なので、同意が必要な「地元自治体」はおおい町だけとなる。おおい町の関係者は公聴会などに参加したり発言したりすることができるが、隣接自治体の住民は排除される。こんな理不尽な話はない。

■反原発運動の課題

 ──反原発運動の課題について、考えをお聞かせください。
 
 【中嶌】福島第一原発の事故が起きて以降、全国各地で反原発運動が大きく盛りあがった。脱原発を求める世論が過半数を占めるようになった。しかし最近は集会やデモの参加者が減少傾向にある。原子力ムラや原子力行政は、あたかも「フクシマ」などなかったかのように再稼働をおしすすめている。
 それでも、世論調査では脱原発が依然として半数を超えている。このような有権者過半数の潜在的な意思をどのように顕在化させ、原発ゼロ社会への道を切りひらいていくかが問われている。小浜市民は署名運動などによって民意を顕在化させ、市長の姿勢を変えた。このような運動を全国規模で展開することが必要だと思う。
 さらに、地元の経済的問題の解決も必要ではないか。地元で再稼働を認めている人は、安全性に自信があるからではなく、自分たちの生活や自治体の財政がどうなるかという明日への強迫観念から再稼働に反対できない。たとえば大飯原発があるおおい町は歳入の6割以上が原発関連である。再稼働しなくてもやっていけるという施策やビジョンがあれば、原発を存続しなくていい。そのような対策を講じるとりくみも必要である。

写真3-1
中嶌哲演さん。後方は国宝の三重塔=明通寺で

中嶌 哲演 てつえん さん

 1942年生まれ。東京芸術大学中退、高野山大学仏教学科卒。福井県小浜市・明通寺(真言宗御室派)の住職。明通寺は9世紀初めに坂上田村麻呂が創建したとされ、本堂と三重塔は国宝に指定されている。宗教者平和協議会の活動を通じて反核・反原発活動へ入る。「原発設置反対小浜市民の会」事務局長として長年活動。現在も「福井から原発を止める裁判の会」代表として大飯、高浜原発の運転差し止め訴訟などにかかわる。主な著書は『原発銀座・若狭から』(光雲社)、『いのちか原発か』(共著、風媒社)、『大飯原発再稼働と脱原発列島』(同、批評社)、『原発を阻止した地域の闘い 第1集』(同、本の泉社)、『動かすな、原発。』(同、岩波ブックレット)、『原発と宗教』(同、いのちのことば社)など


(JAWAN通信 No.121 2017年11月20日発行から転載)

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