トップ ページに 戻る

新規臨港道路構想は棚上げ

〜事実上の第二東京湾岸道路、港湾計画に盛りこまず〜

三番瀬を守る連絡会 中山敏則

 東京湾三番瀬では第二東京湾岸道路をめぐる攻防が1993年以降24年もつづいている。千葉県は2017年1月、新規臨港道路を盛りこんだ千葉港長期構想を策定した。この臨港道路は事実上の第二湾岸道路である。しかし県は2017年10月、千葉港の新しい港湾整備計画にこの臨港道路を盛りこまないことをきめた。

図6-1
図1 第二東京湾岸道路の想定ルート

*第二湾岸道路を24年間阻止

 三番瀬を通る第二東京湾岸道路が表面化したのは1993年である。同年3月、千葉県は三番瀬の埋め立て計画を発表した(図2)。埋め立て地のど真ん中に第二湾岸道路を通す計画である。

図6-2
図2 1993年3月発表の三番瀬埋め立て計画(740ha)

 三番瀬保全団体は「これ以上埋め立てるな」という運動をはじめた。運動の高まりにより、県は1999年6月に埋め立て計画を見直した。埋め立て面積を740haから101haに大幅縮小するものであった(図3)。

図6-5
図3 1999年6月発表の埋め立て見直し縮小案
(101ha、2001年9月白紙撤回)

 図をみれば明らかなように、見直し計画は第二湾岸道路を三番瀬に通すことが主な目的である。埋め立て反対運動はますます高まった。埋め立て計画の白紙撤回を求める署名は最終的に30万に達した。
 2001年春の県知事選では三番瀬埋め立てが最大の争点になった。選挙中に朝日、読売、毎日の新聞各紙がおこなった県民世論調査では、いずれも「埋め立て反対」が過半数を占めた。そして三番瀬埋め立て計画の白紙撤回を唯一の公約に掲げた候補者が当選した。
 2001年9月、三番瀬埋め立て計画は白紙撤回となった。県はその後、浦安寄りの猫実川(ねこざねがわ)河口域で人工干潟を造成する計画をうちあげた。その目的は、この海域に第二湾岸道路を沈埋方式で通すことである(図4)。

図6-4
図4 埋め立て計画白紙撤回後の人工干潟造成計画(2016年10月中止)

 三番瀬保全団体は、人工干潟造成と第二湾岸道路建設を阻止するためにさまざまな運動をくりひろげた。県議会の野党議員にも支援をいただいた。攻防は15年つづいた。県は2016年10月、人工干潟造成計画を中止した。第二湾岸道路建設も食いとめることになった。

*新規臨港道路構想も棚上げ

 だが、県は第二湾岸道路建設をあきらめない。県は今年(2017年)1月、千葉港長期構想を策定した。同構想には新規臨港道路が盛りこまれている(図5)。

図6-5
図5 2017年1月発表の新規臨港道路構想(2017年10月棚上げ)

 千葉市、習志野市、船橋市の埋め立て地に確保されている第二湾岸道路用地と外環道(東京外かく環状道路)をつなぐ道路を建設するというものである。
 この臨港道路ができれば、猫実川河口域に第二湾岸道路を通す計画が復活するかもしれない。そのため、三番瀬保全団体は新規臨港道路構想を批判した。
 地元船橋市の丸山慎一県議も、県議会の代表質問などで臨港道路構想をきびしく批判した。丸山県議は代表質問でこう主張した。
 「港の整備にかこつけて、事実上、第二湾岸道路の建設が動きだすようなことはあってはならない」
 「巨大な橋を2本もかければ事業費が数千億円単位になる。不要不急の大規模開発は見直し、暮らしや福祉、教育を中心に税金を使うべきである」
 丸山県議は、港湾計画などを審議する千葉県地方港湾審議会の委員もつとめている。
 今年10月19日、県地方港湾審議会千葉港幹事部会がひらかれ、千葉港の港湾計画改訂案を県が提示した。改訂案に新規臨港道路は盛りこまれなかった。港湾計画は、港湾法にもとづいて10〜15年後の港湾の姿を描くマスタープランである。港湾計画改訂は2018年の予定である。
 県は、新規臨港道路の建設を具体的な法定整備計画(港湾計画改訂)に盛りこむことを断念した。その背景には、三番瀬保全団体のすばやい対応と丸山県議のご尽力がある。わたしたちは今後も県の動きなどを監視しつづける。

(JAWAN通信 No.121 2017年11月20日発行から転載)

>> トップページ >> REPORT目次ページ