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■シンポジウム「日本の湿地を守ろう2018」の報告要旨

三番瀬の過去・現在・未来

三番瀬を守る連絡会 代表世話人 中山敏則

 三番瀬は千葉県の船橋、市川両市の地先に広がる約1800haの干潟と浅瀬である。
 江戸時代、三番瀬は幕府の台所をまかなう「御菜浦(おさいうら)」(または御莱ヶ浦)として栄えた。
 ところが戦後の高度成長期、東京湾の干潟・浅瀬はかたっぱしから埋め立てられた。千葉県企業庁は「関東軍」を豪語し、違法行為をくりかえしながら埋め立てをすすめた。三番瀬も半分以上が埋め立てられた。埋め立て地の土地ころがしが堂々とおこなわれた。千葉県を意のままにあやつったデベロッパー(開発業者)の三井不動産は、埋め立て地の転売で暴利をむさぼった。
 千葉県では1971年以降、「千葉の干潟を守る会」や「房総の自然を守る会」(現・千葉県自然保護連合)などの自然保護団体が次々と結成され、埋め立て反対運動を展開した。県が1993年3月に発表した三番瀬埋め立て計画は、反対運動の高まりによって2001年9月に白紙撤回となった。県はその後、市川市地先の猫実川河口域で人工干潟造成をめざした。この海域に第二東京湾岸道路を通すことが目的である。15年におよぶ攻防の結果、この人工干潟造成計画も2016年に中止となった。
 しかし、三番瀬を通る第二湾岸道路構想は依然として残っている。そのため、三番瀬保全団体は第二湾岸道路構想の中止を求めて国土交通省や県との交渉などをつづけている。 三番瀬のラムサール条約登録がすすまない最大の原因は、国交省・県・財界が第二湾岸道路建設をあきらめていないことにある。
 三番瀬保全団体は2009年4月以降、9年間で行政交渉を65回おこない、成果をいくつもあげてきた。三番瀬を後世に引き継ぐため、さまざまな運動をねばり強くつづけていく。

(JAWAN通信 No.123 2018年5月20日発行から転載)

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