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諫早湾開門運動に望むこと

─世論を味方につける大衆運動を旺盛に─

日本湿地ネットワーク(JAWAN) 中山敏則

諫早湾の潮受け堤防開門と有明海再生をめざす運動はきびしい状況がつづいている。最高裁は今年6月、二つの訴訟をめぐって「開門を認めない」とする初判断をしめした。開門を実現する運動について提案させていただく。

*署名は50万以上を目標に

こんな格言がある。「歴史上の大問題で物質的な力による以外の方法で解決されたものはひとつもない」「理論といえども、それが大衆をつかむやいなや物質的な力となる」──。逆にいえば、いくら理論や理屈が正しくても大衆に支持されなければ物質的な力にならない。影響力は弱い、ということだ。

ようするに、強大な権力を相手にした運動で決定的に大事なことは世論を味方につけることである。和解をめざす場合も、国民世論を味方につけ、その世論をテコに相手に譲歩をせまることが必要だ。

諫早湾開門運動は世論を動かすとりくみが弱いように感じる。有明海漁民・市民ネットワークのホームページによれば、開門を求める署名は第一次集約分として2万3507人分を2016年1月に農水省に提出した、とある。以降の署名数は記載されていない。

この署名数は少なすぎる。たとえば三番瀬埋め立て計画の白紙撤回を求める署名は30万人分を集めた。この署名運動が「東京湾をこれ以上埋めるな」の世論を大きく広げた。そして2001年春の千葉県知事選挙で三番瀬埋め立て計画が最大の争点になり、埋め立て計画の白紙撤回を唯一の公約にかかげた堂本暁子候補が当選した。堂本知事は世論におされて埋め立て計画を白紙撤回した。

つぎは西日本各地からの辺野古埋め立て用土砂搬出に反対する署名である。請願署名を昨年10月に開始し、わずか10か月で61万人分を集めた。今年6月、国会に提出した。この署名集めは現在もつづいている。

諫早湾開門署名も50万以上を目標にしてほしい。多くの国民が開門を支持していることを可視化するためにはそれくらいは必要だ。

*地元自治体の姿勢を変える

地元自治体の姿勢を変えることも重要である。わたしは2年前に諫早市を訪れた。開門派の諫早市民に地元の状況を教えていただいた。「諫早市では開門賛成の市民はごく少数」「市長選では開門は争点にならない」「市長はずっと開門反対の姿勢をつらぬいている」とのことであった。これでは世論を味方につけたことにならない。

三番瀬では、前述のように、2001年春の県知事選で三番瀬埋め立て計画を最大の争点にさせ、埋め立て計画の白紙撤回を唯一の公約にかかげる候補を当選させた。三番瀬保全団体はその後も三番瀬保全にたいする世論の支持拡大に力をそそいでいる。現地観察会や市民調査、写真・絵画展、コンサート、演劇などをくりひろげてきた。三番瀬のラムサール条約登録を求める署名は現時点で18万人分を集めている。このようなとりくみをマスコミがひんぱんにとりあげている。

その結果、地元自治体の姿勢は様変わりした。かつては、三番瀬に面する船橋、市川、浦安の3市は三番瀬の埋め立てや第二東京湾岸道路の建設を積極的に推進した。いまはちがう。今年1月、第二湾岸道路建設にむけた検討会の設置を国土交通大臣が表明した。そうしたら3市の市長は2月14日、懸念を表明する文書を連名で県知事に提出した。文書は、「第二東京湾岸道路に関するこれまでの計画では、貴重な干潟である三番瀬や住宅密集地を通過し、環境や漁業、市民生活への影響が懸念されております」と記している。

船橋市長は第二湾岸道路計画について、市議会で「三番瀬を最優先にしていく」と表明した。市川市では、昨年4月の市長選で三番瀬の保全を選挙公約にかかげた村越祐民さんが当選した。

諫早開門運動もこうしたとりくみをすすめてほしい。諫早市長選で開門を争点にし、開門に賛成する候補者を当選させることもとりくんでほしい。憲法で保障された住民自治制度を活用してほしい。

*強力な運動体(支援組織)

今年(2019年)7月26日、諫早湾開門の是非をめぐる最高裁弁論の報告集会が衆議院第一議員会館でひらかれた。佐賀県の漁業者、平方宣清さんはこう訴えた。「漁業者だけで日本の沿岸漁業を守ることはできない」「漁業者以外の多くの国民から支持をいただき、有明海4県と全国の沿岸漁業者の生活の場をしっかりきずいていきたい」と。これは問題の核心をついている。

漁業者だけで沿岸漁業を守ることは困難である。それは東京湾の沿岸漁業をめぐる歴史が証明している。東京湾の千葉県側は、戦後の経済成長期にかたっぱしから埋め立てられた。1950年代は埋め立てによる漁業権剥奪(はくだつ)に漁業者が抵抗した。千葉市や船橋市でははげしい反対運動がおきた。だが、いずれもつぶされてしまった。買収や懐柔、脅迫、陰謀によってである。東京湾埋め立ての歴史は、漁業者だけで沿岸漁業を守るのは不可能に近いということを証明した。

東京湾の埋め立てを阻止するようになったのは、市民や労働者が埋め立て反対運動にたちあがってからである。1971年以降、千葉県では「千葉の干潟を守る会」や「房総の自然を守る会」(現在の県自然保護連合)などの自然保護団体がつぎつぎと誕生し、埋め立て反対運動をくりひろげた。その結果、盤洲干潟(木更津市)と谷津干潟(習志野市)、三番瀬(船橋市、市川市)の埋め立て計画を撤回させた。盤洲干潟と三番瀬では漁業も存続できるようになった。

これらの運動を推進したのは自然保護団体や団地自治会、労働組合、生活協同組合などである。三番瀬埋め立て計画の白紙撤回で中心的な役割をになったのは共闘組織の「三番瀬を守る署名ネットワーク」である。この共闘組織には、市民団体、労働組合、生活協同組合、自治会、文化団体、レジャー団体など70団体が加わった。そのなかには大きな組織力をもつ団体がいくつも含まれている。これらの団体が30万の署名集めや、さまざまな行動、イベントで奮闘した。

「よみがえれ!有明訴訟」弁護団長の馬奈木昭雄さんはいう。

《強大な運動体(支援組織)をどうつくるかも大事な問題です。(中略)私は、朝日訴訟や家永訴訟を例に、国民的な課題であればあるほど大衆的に裁判をたたかう必要があると強調してきました。そして、そのためにはなによりも、「強大な原告団」の組織とそれに見合う「強大な弁護団」「強大な運動体」を組織することが必要だと訴えてきました。》(松橋隆司編著『弁護士馬奈木昭雄』合同出版)

そのとおりだと思う。諫早湾開門運動もぜひ強大な運動体を組織してほしい。強力な運動体がなければ、開門署名を50万以上集めたり、諫早市長選で開門派を当選させたり、有明海再生を実現したりすることはむずかしい。

前述のように、辺野古埋め立て用土砂搬出に反対する運動は、わずか10か月で61万人分を集めた。それを牽引したのは強固な組織力をもつ運動体である。「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」が署名集めを強力に支援している。また、辺野古土砂搬出反対全国連絡協議会には、搬出予定地となっている九州各地や瀬戸内海沿岸の18団体が加わっている。これらの団体も署名集めに奔走している。

写真2-1
よみがえれ!有明訴訟」の原告(漁業者)と弁護団の記者会見=2019年7月26日、衆議院第一議員会館

*集会では行動提起が不可欠

前述の諫早湾開門をめぐる最高裁弁論報告集会(7月26日)には220人が参加した。だが、具体的な行動は提起されなかった。署名を増やすとりくみも提起されない。これには驚いた。行動提起がなければ、参加者はなにをすればいいのかわからない。

辺野古土砂搬出反対全国連絡協議会などは今年6月10日、辺野古新基地建設と西日本各地からの土砂搬出計画の中止を求めて防衛・環境両省と交渉した。交渉には120人が参加した。交渉後の報告集会では行動提起もあった。全国的な世論形成をはかるために61万集まっている請願署名を倍増させることや、海砂搬出を止めるために海砂採取場所の実態調査をおこなうことなどである。

「三番瀬を守る連絡会」は三番瀬保全団体の連携組織である。この連絡会も、会合をひらくときは、活動経過や情勢を議論したあとでかならず具体的行動をきめる。行政交渉などである。三番瀬保全団体は、2009年4月以降10年間で行政交渉を77回おこなった。交渉でいくつも成果をあげてきた。今年はこれまで7回交渉した。第二湾岸道路計画で国交省本省、同省千葉国道事務所、千葉県、船橋市、市川市と。新行徳野鳥観察舎の設計・運営でも市川市と2回交渉した。

*国会ロビー活動と首都圏の運動体

諫早湾開門をめぐる最高裁弁論の報告集会(7月26日)であいさつした国会議員は日本共産党の議員だけだった。これにも驚いた。国民世論を動かすためにはさまざまな政党の協力が必須となるからだ。

辺野古土砂搬出反対全国連絡協議会などが6月10日におこなった防衛・環境両省交渉と請願署名提出、報告集会には、野党4党と1会派の国会議員が10人以上参加した。立憲民主党、国民民主党、日本共産党、社民党、沖縄の風である。

政党の協力をえるためには国会ロビー活動を旺盛にすすめることが必要だ。たとえば自民・公明両党が2014年に瀬戸内法(瀬戸内海環境保全特別措置法)改正案を国会に提出したさい、環瀬戸内海会議は同改正案の廃案や大幅修正を求め、国会ロビー活動を旺盛にくりひろげた。この改正案は、現行法の「富栄養化による被害発生の防止」条項を削除するなど大きな問題があった。環瀬戸内海会議は民主党、共産党、社民党、次世代の党などの議員のほか、瀬戸内海沿岸選出の自民党議員にもねばりづよく働きかけた。

わたしも、日本湿地ネットワークとしてこのロビー活動に何回も参加した。感動的だったのは、自民・公明両党の「改正案」を修正させるための効果的な方法を自民党議員がアドバイスしてくれたことだ。それを環瀬戸内海会議が実行した。その結果、自民・公明両党提案の改正案を大幅に修正するかたちで新改正案を成立させることができた。新改正案には全会派が賛成した。自民党と公明党が安定多数を占める国会でそれを実現した。きわめて教訓に富んだとりくみである。

このロビー活動で重要な役割をはたしたのは環瀬戸内海会議の首都圏連絡会である。瀬戸内海沿岸から何人ものメンバーが国会ロビー活動にひんぱんに参加するのは困難である。そこで、首都圏連絡会がロビー活動の手配や参加者の確保などでがんばった。

辺野古新基地建設反対運動をめぐっては昨年、「辺野古の海を土砂で埋めるな!首都圏連絡会」(埋めるな連)が結成された。市民団体や労働組合など三十数団体が加入し、首都東京において独自の集会や街頭宣伝、デモ行進などを活発にくりひろげている。

諫早湾開門運動も、国会ロビー活動を支えたり、東京などで活発に活動を推進したりする首都圏の運動体を組織すべきだと思う。

*主戦場は法廷外にあり

1975年、千葉川鉄公害訴訟がはじまった。川崎製鉄千葉製鉄所(現在のJFEスチール千葉工場)を相手どり、周辺住民が公害差し止めと被害者への損害賠償を求めた裁判である。わたしも原告に加わった。26歳のときである。

相手は鉄鋼独占企業の川崎製鉄だ。当時は「鉄は国家なり」といわれ、鉄鋼業の保護育成は国策であった。権力と一体となった鉄鋼独占資本が相手である。しかも、オイルショック後の経済の冷えこみから、ふたたび経済優先策を推進する「公害冬の時代」がおとずれた。法廷闘争だけでは絶対に勝てない。法廷外運動をくりひろげて世論を味方につけることが不可欠である。わたしたちは松川裁判闘争のやりかたを学んだ。

松川裁判闘争は一審、二審で敗北したあと、運動方法を抜本的に見直して法廷外運動に力をそそいだ。「主戦場は法廷外にあり」という言葉が生まれた。仙台から東京まで歩く「松川大行進」には延べ3万人が参加した。国民世論を味方につけ、大逆転無罪を勝ちとった。

千葉川鉄公害訴訟も「主戦場は法廷外にあり」を合言葉にし、法廷外運動を旺盛に展開した。地域ビラの全戸配布、街頭宣伝、県庁前早朝宣伝、大気汚染測定などをくりかえした。デモ行進もした。署名は31万集めた。これらの活動には数百人の労働者や市民が参加した。

このように法廷内外のとりくみを盛りあげることを、わたしたちは大衆的裁判闘争とよんだ。運動が広がるにつれて、裁判の争点や進行状況などを大新聞もひんぱんにとりあげるようになった。“万人の法廷”にもちだしたのである。「向かい風」を「追い風」に変え、世論を味方にすることができた。その結果、一審の千葉地裁で勝訴し、二審の東京高裁で勝訴判決以上の和解を勝ちとった。提訴から歴史的な勝利和解まで17年もたたかいつづけた。

前述の三番瀬埋め立て反対運動は千葉川鉄公害訴訟のやり方をとりいれた。埋め立て中止を求める署名を30万集めた。多彩な運動をくりひろげ、県民の共感を獲得した。そして埋め立てを中止させた。

「よみがえれ!有明」の運動も、さまざまな運動から実践的教訓をひきだし、諫早湾開門と有明再生を実現するためにはどうすればいいかという具体的な方策を練ってほしい。

(JAWAN通信 No.128 2019年8月30日発行から転載)

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