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■諫早湾開門訴訟最高裁判決後の記者会見における発言要旨

農業と漁業の共存を実現するために

よみがえれ!有明訴訟 原告団長 馬奈木昭雄さん

◇「きちんと審理をつくせ」

福岡高裁がくだした判決はでたらめだった。「漁業権の免許期間は10年である。10年をすぎたので漁業権はすでに消滅し、漁業者が開門を求める権利はなくなった」とした。しかしきょうの最高裁判決は、漁業権が10年で消滅するというのはとんでもないということをきちんと指摘した。

当然のことながら、5年間の常時開門を命じた2010年の確定判決は継続することを前提としている。これは当たり前のことだ。その当たり前のことを当たり前のこととして判断できない裁判官というのはいったいなんだろうか。福岡高裁の裁判官は、当たり前のことを当たり前として判断できない。自分で勝手に結論をくだし、審理をきちんとつくそうとしない。

福岡高裁の時点で、国は漁業権10年消滅論で簡単に勝てるとは思っていなかった。だから500ページにわたる準備書面を提出し、いろいろな理屈を書いた。ところが福岡高裁の裁判官は、漁業権10年消滅だけでいい、あとの問題はいっさい審理する必要はない、としてほかをバッサリ切り捨てた。この点についても最高裁判決はきびしく指摘した。きちんと審理をつくせ、ということである。

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最高裁判決後の記者会見。50人以上の記者が出席した

◇審理をつくそうとしない福岡高裁

きょうは最高裁がふみとどまってくれた。良識ある判断を示した。私は安堵(あんど)している。もちろんそれは、不当な福岡高裁判決が打ち破られたという意味でしかない。

審理をつくそうとしなかった福岡高裁の3人の裁判官は、石木ダム建設事業をめぐる裁判も担当している。長崎県知事は、石木ダム建設予定地で生活している13世帯の住民を追いだしてダムを建設しようとしている。私たちは「こんなことをやってはいけない」と言い、工事を止める訴訟を起こした。ところが福岡高裁の裁判長は、私たちが求めた専門家の証人申請について「もう聞く必要はない」と冷たく言いはなった。きょう最高裁がきびしく叱った裁判官である。

裁判所は審理をつくす場所だ。言い分や立証をきちんと聞き、そのうえで合理的な判断をする。裁判所の判決は、だれが読んでも「こういう公理なんだね」と納得するものでなければならない。

ところが福岡高裁の裁判官は、結論は最初から決まっているから証言を聞く必要はない、という態度をとっている。諫早湾干拓事業をめぐる訴訟だけでなく、石木ダム建設事業でも同じ対応をした。

証人申請をばっさり切り捨て、わずか3回の審理で結審した。審理をほとんどしないという態度である。それは裁判所の自殺行為だ。

きょうの最高裁判決はきわめて常識で、当たり前の判決である。普通に考えれば、きょうの判決になる。

しかし、私たちはその確信がもてなかった。常識に反することを次々と裁判官がやってくるからだ。これまでの慣例、これまで築きあげてきた審理のあり方や判決の中身を根底からくつがえすようなことを平気でやっている。そのため、私たちは危機感をもっている。

◇漁業法改悪を先取りした高裁判決

開門を命じた確定判決を国は守らなくてもいいのか。確定判決の意味は、最高裁が命じただけではない。裁判所が命じ、それを時の総理大臣が「そのとおり実行します」と国民に約束したということである。

ところが政権が代わり、前の総理大臣は気にくわないから約束は守らなくてもいいと言って次の総理大臣が抵抗する。その抵抗にたいし、裁判所が「そうだよね」「そんな約束はまもらなくてもいい」という判決をくだす。これはとんでもない話である。私たちはこれを許してはならない。

忖度(そんたく)という言葉がはやっている。しかし、福岡高裁の判断は忖度の域をこえている。私はそれを言いつづけてきた。なぜか。福岡高裁の判決がでたあと、次の国会で混乱のうちに漁業法の改正案が通った。審議らしい審議をせずにである。

戦後、民主化の根幹として、農業では農地法、漁業では漁業法の根本的な改正がおこなわれた。それまでは、漁業でいえば行政が漁業権を漁民に貸与していた。それを現場で働く農民、漁民の権利にするというのが戦後の農地法と漁業法の改正の基本である。

ところがこんど、漁業法が改悪された。農地法はとっくに改悪されている。漁業法の改悪は、漁民から漁業の権利をとりあげて株式会社に移すというものだ。それがいちばん大きな本質だと私は理解している。漁業権は漁民が自分たちで守ってきた権利ではなくて、国が適当に与えてあげる権利である。だからいつでもとりあげることができる。それがこんどの漁業法改悪の根幹だ。

その改悪が審議もされていない段階で、それを先取りした判決を福岡高裁はくだした。忖度の域を超えていると私は思っている。国の政権のものの考え方、方針を先に裁判所が実行する。判決のなかに書いてしまう。これはとんでもないことだ。

幸い、この判決は今回の最高裁判決で破られた。高裁判決が破棄差し戻しになったので、福岡高裁で新たなたたかいが必要になってくる。

◇スローガンは「農業も漁業も」

私たちは漁民がよくなればいい、農民はどうなってもかまわない、という議論をしたことはいちどもない。私たちのスローガンは「農業も漁業も」である。農水省というのはもともとそういう役所のはずだ。農業も漁業も両方がよくなるようにしようというのは当たり前のことだ。それは農水省の官僚が真っ先に言うことだ。

ところが、農水省の官僚は、農業と漁業があたかも対立するかのように、利害が正面から衝突するかのように、大げさに言う。失礼ながら、マスコミもそれを真に受けて、あたかもいま起こっている争いは農業者と漁業者の対立であるかのように描きだしている。

それはまちがいだ。いま起きている問題は、けっして農業者と漁業者の利害が対立しているのではない。

漁業者は現にたいへんな被害をうけている。この被害をどうにかしないと、問題は解決しない。農業者もよくなるようにするのは当たり前のことだ。だから私たちは、開門による農業被害を徹底して防ぐことを主張している。農業者はいま、開門するか開門しないかと関係なしにたいへんな被害を受けている。この問題も、開門の有無にかかわらず解決しなければならない。それは農水省と長崎県の両方が解決しなければならないことだ。

農業被害は開門しなくても発生する。私たちは、その対策をきちんと講じることも求めている。具体策として基金の創設を提案している。

私たちは今後、徹底した議論を福岡高裁に求めていく。それは法律論ではない。問題を解決するためにどうあるべきか。どうすればいいのか。私たちの案を押しつけるのではなくて、それぞれの立場の意見をみんなだしあおうではないか。そのなかで、みんなが納得する結論にたどりつけるようにしようではないか。そういうことを提案していくつもりだ。

高裁でがんばりぬきたい。全国の支援者のみなさん、そして国民の世論の力を結集して、本当にあるべき公共事業はどうあるべきか、というかたちを実現したい。今後とも、全国のみなさんのご支援をよろしくお願いします。漁業者、弁護団、支援者のみなさんがいっしょになってがんばりぬきたい。

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記者や支援者に判決結果を話す「よみがえれ!有明訴訟」の馬奈木昭雄弁護団長=2019年9月13日、最高裁正門前
(JAWAN通信 No.129 2019年11月30日発行から転載)

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