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国策の第二東京湾岸道路を27年阻止している力

~世論喚起、幅広い共闘組織、多彩な運動~

三番瀬を守る連絡会 代表世話人 中山敏則

三番瀬は東京湾奥部に残る貴重な干潟・浅瀬である。三番瀬保全団体は、三番瀬を通る第二東京湾岸道路の建設を27年も阻止している。その要因は世論喚起と幅広い共闘組織、そして多彩な運動である。

図4-1
第二東京湾岸道路の建設を27年阻止

◆世論の支持が大事

政治や社会運動でもっとも大事なのは世論を味方につけることである。有能な戦国武将も世論の支持を得ることに気を配った。

〈徳川家康が成功したのは、いつも世論を味方にし、多くの層の支持をとりつけながら、慎重に事を運んだことによる〉(童門冬二『これは知っておきたい!日本の歴史 名場面100』知的生きかた文庫)

◆幅広い共闘組織

三番瀬保護運動も世論の支持を得ることを重視している。

千葉県は1993年、三番瀬埋め立て計画を発表した。埋め立て地のど真ん中に第二東京湾岸道路を通す計画だった。この道路計画は国策である。三番瀬保全団体は「東京湾をこれ以上埋め立てさせない」を合言葉に反対運動をすすめた。運動では一般市民への働きかけを重視した。集会やシンポジウムをくりかえしたり、意見書を提出したりするだけでは阻止できない。差し止め訴訟を起こしても勝算は千に一つもない。そういう認識である。

県民世論を味方につけるためには幅広い団体を結集する共闘組織が必要である。1996年に共闘組織「三番瀬を守る署名ネットワーク」(署名ネット)を結成し、署名活動などをくりひろげた。署名ネットには市民団体、労働組合、消費者団体、レジャー団体、自治会など65団体が加わった。

◆「はかりごとの多い者が勝つ」

戦国武将・毛利元就の教訓状にこんな言葉がある。「はかりごとの多い者が勝ち、少ない者は負ける」。勝つためにはあらゆる手段を使うべき、ということだ。三番瀬保全団体はその教訓を実践した。

世論を高めるためには、高齢者、若者、女性、勤労者、子どもなど幅広い層にわかりやすく訴えることが必要だ。そのためには、音楽、写真、絵画、演劇などの芸術活動や現地観察会も効果が大きい。これらは敷居が低い。シンポや集会に参加しない人もたくさん参加する。埋め立て計画の白紙撤回を求める署名は30万人分を集めた。こうした多彩な運動をねばり強くつづけた結果、埋め立て中止を求める世論が大きく高まった。

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市民500人が三番瀬で手をつなぎ、「人間の鎖」で埋め立て計画撤回を訴えた。参加者の大半は若者である。マスコミも大きく報じた=1998年11月15日

写真4-2

歌手の市野由美子さんはミニコンサート「市野由美子 三番瀬を歌う」を県内各地で開き、三番瀬保全を訴えてくれた。写真は2000年8月に成田市内で開かれたコンサート

写真4-3

千葉合唱団は三番瀬コンサートに毎回出演し、『三番瀬の四季』や『三番瀬のうた』を合唱した

写真4-4

歌手の山本リンダさん。三番瀬コンサートになんども無報酬で出演し、歌の合間に「みんなで三番瀬を守りましょう」と訴えてくれた

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駅頭での署名活動を合唱団「わかちばーず」も支援。バックで演奏すると、署名協力者が格段に増える=JR千葉駅頭で

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「三番瀬を守ろう」「ムダな公共事業ストップ」と訴えながら市川市の繁華街をデモ行進=2001年3月11日

◆県民世論調査で「埋め立て反対」が過半数

2001年春の千葉県知事選では三番瀬埋め立てが最大の争点となった。朝日、読売、毎日の3紙が選挙中におこなった県民世論調査では、いずれも「三番瀬埋め立てに反対」が過半数を占めた。それをみた堂本暁子候補は、選挙戦の後半で「三番瀬埋め立て計画の白紙撤回」を唯一の公約に掲げ、当選した。堂本知事は、埋め立て中止を求める運動と世論の高まりにおされて2001年9月、埋め立て計画を白紙撤回した。

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「船橋三番瀬物語 飯盛り大仏」を上演した八千代松陰高校演劇部。江戸時代、横暴な権力に抗し、命がけで三番瀬を守った漁師のたたかいを見事に演じた。会場は超満員。300人超の観客全員が涙した=2009年3月29日、船橋市宮本公民館の三百人劇場

◆第二湾岸道路建設を再び阻止

堂本知事は「埋め立て計画は白紙撤回するが第二湾岸道路は建設する」という新たな方針を発表する。県は第二湾岸道路を三番瀬に通すことをめざした。そのため、浦安寄りの猫実川河口域で人工干潟造成計画をうちだした。人工干潟を造成するさいに第二湾岸道路を沈埋方式で通すことが目的である。

猫実川河口域の人工干潟化をめぐり、県と三番瀬保全団体の間で攻防がつづいた。保全団体は、猫実川河口域の市民調査や行政交渉などをつづけた。行政交渉は、この11年間で90回におよぶ。三番瀬の恒久保全策としてラムサール条約登録を求める署名運動もくりひろげた。この署名は現時点で18万人分を集めている。こうしたとりくみをマスコミがひんぱんにとりあげた。2016年10月、人工干潟造成計画は中止になる。第二東京湾岸道路も食い止めた。

だが国交省と県はあきらめない。昨年(2019年)1月、石井啓一国交大臣が「第二湾岸道路の建設に向けて検討会を立ちあげる」と発表した。これを受け、国交省は同年3月に千葉県湾岸地区道路検討会を発足させた。

三番瀬保全団体は、第二湾岸道路の建設を食い止めるためにさまざまな手をうった。国交省や県と交渉をくりかえし、三番瀬保全を訴えた。三番瀬に面する船橋市や市川市にも協力を求めた。日本弁護士連合会(日弁連)の公害対策・環境保全委員会水部会にも支援を要望した。水部会の弁護士12人が県と懇談し、三番瀬保全を要請してくれた。

大きかったのは、沿岸3市(船橋市、市川市、浦安市)の対応である。かつては、3市も三番瀬埋め立てや第二湾岸道路建設を積極的に推進する姿勢だった。しかし運動と世論の高まりによって、3市の姿勢は様変わりする。3市は、第二湾岸道路を三番瀬に通すことには反対もしくは慎重な立場をとるようになった。検討会の幹事会には3市も加わっている。

とくに人口64万人の船橋市は、三番瀬を通る第二湾岸道路計画に強く反対するようになった。昨年6月の船橋市議会で市長はこうのべた。「三番瀬は次の時代にきちんと伝えていかなければならない大事な自然なので、それを最優先にしていく」。

今年5月26日、検討会は新たな自動車専用道路建設計画の基本方針をまとめた。この道路は千葉県の市川市と市原市を結ぼうとするものだ。三番瀬は避けることになった。検討会を立ちあげたものの、千葉と東京を結ぶ第二湾岸道路建設の道すじはつけられなかったのである。その要因は、三番瀬保全団体の運動と世論の力である。

写真4-8

第二東京湾岸道路計画の中止を求めて国交省本省と交渉。三番瀬保全団体がこの11年間におこなった行政交渉は90回におよぶ=2019年2月4日

写真4-9

三番瀬市民調査の参加者。この調査は第二東京湾岸道路が通る予定の猫実川河口域を対象にし、道路建設を阻止するうえで大きな役割をはたしている。法大生も毎年20人ぐらい参加している=2019年6月2日


JAWAN通信 No.133 2020年11月30日発行から転載)