瀬戸内法の新改訂の背景と今後の課題
(環瀬戸内海会議幹事/協同組合懇話会常務委員)
2021年の通常国会で、瀬戸内法の改訂案が先議の参議院から衆議院での審議を経て、全会一致で成立した。改訂の背景には、瀬戸内海ではこれまで水質が一定程度改善したが、ノリの色落ち、漁獲量の低下が起こり、その対策が求められたことである。一部の学者は、汚染対策等の規制が進み、窒素などの栄養塩類が不足したことを強調し、マスコミの多くもそれに同調していた。しかし、漁獲量の原因は埋立てによる藻場・干潟の減少、地球温暖化による水温上昇、海洋プラスチックごみ等の悪影響もある。また日本近海全域に、生物の多様性・水産資源の持続的な確保といった重要課題もある。
これらの課題は、瀬戸内法の2015年の改訂時から指摘されていた。そこでまず、瀬戸内法の経過を押さえておきたい。
1.1973年の瀬戸内法制定から2015年の改訂まで
瀬戸内海は60年代の高度経済成長期に、海の汚染が急速に進む。72年、播磨灘で大規模な赤潮が発生。養殖ハマチの大量死が起こる。そこで73年に有害物質規制、富栄養化の防止、自然海岸の保全等を初めて定めた「瀬戸内海環境保全臨時措置法」が制定。同法は78年に「特別措置法」として恒久法化されたが、瀬戸内海の環境破壊は続く。
環境破壊の主要原因は「①藻場・干潟の埋立て、②産廃の持ち込み、③海砂採取」である。埋立てで多くの魚や貝、各種の水生動物の棲む浅瀬・藻場・干潟が奪われた。水生小動物の餌は、植物プランクトンとそれらが作り出す懸濁有機物だ。その元になる栄養塩は山林など自然界で生成されるが、工場や生活排水にも多く含まれている。貝類などの小動物はそれらを消化・分解し、海水をきれいにしている。
埋立てで貝などの小動物が減ると栄養塩は減らず、植物プランクトンが増え、赤潮の原因となる。赤潮は東京湾や伊勢湾でも発生。有明海では諫早湾の干潟で頻発している。
瀬戸内海は膨大な浅瀬を埋立ててきた。また、海砂採取による環境破壊で、イカナゴなど小魚や水生動物が生息する砂場や藻場を奪ってきた(海砂採取は今、禁止に)。
2013年11月、この問題に瀬戸内府県の漁協(JF)10団体は地元自治体や国に、①藻場・干潟・浅場の保全、②貧酸素水塊の地形や土質の改善、③湾や灘ごとの栄養塩の適正管理、④赤潮発生対策、⑤海ゴミ対策、⑥有害生物対策、⑦温暖化対策についての要望書を出し、瀬戸内法の改訂を求めて運動する。
それを受けた自公両与党は、2014年の通常国会の参議院に瀬戸内法改定案を議員立法として提出。ところが、そこには看過できない、次の重大な問題があった。①「富栄養化」と「汚染対策」の全面削除、②「豊かな海」にする「事業」が新たな埋立てや「人工磯浜・砂浜等の造成」(それらは全て失敗し、山口・広島・愛媛など、新たな被害を出したところが多い)を招く狙いがあり、新たな環境破壊を招くこと、③湾・灘ごとの協議会の設置があがっていたが、構成メンバーに埋立て業者の介入を防ぐ配慮がなかったこと。
この自公の旧改訂案は、14年の通常国会が6月下旬に閉会し、継続審議となる。その後、臨時国会は11月に安倍総理によって急遽解散し、自公の旧改訂案は一度も審議されなかったため、廃案となってしまった…。
自公与党案の廃案の後、2015年通常国会で与野党は新改訂案を、参議院発議の議員立法として可決・成立させた。同法には「貧酸素水塊」や「生物多様性」の重要な文言が加わり、「豊かな海」のための「事業」の文言がかなり減った。環境保全や栄養塩の管理は、湾・灘ごとの協議会で検討し、そこにNPOなどの参加も可能になった。
また15年改訂法の「付帯決議」には、①埋立て等の無駄な予算のバラ播きを抑制する、②生物多様性の総括と調査・研究を行なう、③未利用埋立て地や既存施設の活用を新たな埋立てに優先させる、ことも明記された。
2.瀬戸内法の21年改訂の論点
2015年と今21年の改訂で問題になるのは、海の汚れ、すなわち栄養塩(全窒素)が減り、それが貧栄養化を招き、漁獲量の減少となった、水清ければ魚棲まず、という論への対応だった。この論には、その後も多くの新聞が飛びついて、かなり報道された。
この論は必ずしも正しいとは言えない。栄養塩が減ったのは、90年代の後半から(瀬戸内海環境保全協会の報告)。一方、漁獲量の減少はそれより10年前の80年代後半から起こっている。種別の漁獲量では貝類が早く、70年代初めから激減。海藻類は80年代半ばから明確に、魚類は87年から減少している(農水省漁業・養殖業生産統計)。この点から、漁獲量減少と栄養塩減少の年代差は大きく、直接の因果関係は小さい。
次に、漁獲量の減少が始まった年代と、赤潮・貧酸素海域の発生とが起こった年代をみると、両者の年代は近く、何らかの関係が強いようだ。
富栄養化と貧酸素海域の因果関係は次の通りだ。富栄養化による赤潮の海底にプランクトンの死骸など大量の有機物が留まる。それをバクテリアが分解するが、その時、水に溶けた酸素を大量に消費する。酸素が少なくなった海は、生物が棲みにくい貧酸素海域に変貌する。同じ海域で海面に近い上層は赤潮、底の方は貧酸素海域となる。赤潮は70年代が最多で、貧酸素海域もこの頃から発生した。そこでは魚介類が棲めない。貧酸素海域の拡大と漁獲量減少との関係は、非常に強いといえよう。
瀬戸内海のノリの色落ちも、漁業者にとっては切実な問題だ。ノリの色落ち・減収の原因が、海の栄養塩不足よることは間違いない。しかし、播磨灘などでは、栄養塩が1983年頃一時減少したが、この時は色落ちがなかった。栄養塩が減少しても、色落ちしないこともある。一方で「栄養が豊富だから、養殖カキの成長が早い」との声も聴く。色落ちは海域によっても違う。
対策は漁協が言うように、ダムの水門を一時的に開放する、農業用の溜池は昔のように水抜きする、高齢化でそれができない所では、湾・灘ごとに行政が支援するなどは、すぐにも実施すべきだ。また、広葉樹の植林などの対策が必要だ。
ノリ養殖場は本来、栄養塩の流入が多い河口付近の浅瀬だったが、瀬戸内海の汚染・富栄養化が進んだ近年、汚染の少ない沖合に移ったことも関係している。養殖場所を沖合から沿岸に戻すための助成も必要だ。しかし、工場や生活排水の規制を緩める、肥料を与えるなど、安易な対策は避けるべきだ。
ノリの色落ち・減収の原因には、もう一つ、地球温暖化と貝類等の減少で、ノリの色落ちを起こす植物プランクトンの急増もある。兵庫県立水産技術センターや漁協のホームページによると、大型の珪藻類の「ユーカンピア」などが報告されている。海水温度が上昇すると、増殖力を増す。これらの対策は、どこまで進んだのだろう。
3.今回の法改訂と付帯決議
さて、今21年の瀬戸内法改訂で明記された重点項目は次の点である。①水質が良好な状態で保全され、生物の多様性及び生産性が確保される「豊かな海」とする。②その環境の保全の基本理念の新設、基本計画・府県計画の規定を改訂する。③生物多様性・水産資源の持続的な確保を図る。
そのため実施・対策、改訂点は次の通り。①栄養塩類の管理制度の創設。関係府県知事が栄養塩類の管理計画を策定し、特定の海域への栄養塩類供給を可能にし、海域及び季節ごとに栄養塩類のきめ細かな管理をする。②自然海浜保全地区の指定対象の拡充。特に藻場の保全を進める。③国と地方公共団体は、海洋プラスチックごみ等の海洋漂流ごみの除去・発生抑制等の関する責務を規定し、適切な対策を行なう。④気候変動による環境への影響に関する基本理念を定める。
さらに衆参両院の「付帯決議」でも、次の点が明記された。
①栄養塩類管理で規制を緩めすぎないよう合意形成や協議を適切に支援し、水質の保全調査などを実施する。②藻場・干潟等は水質の浄化、生物多様性の維持など環境の保全上の重要な機能があり、これらの保全、再生・創出に努め、未利用埋立て地は「自然の力を活かした磯浜の復元」に努める。③海洋プラスチックごみ等の除去、発生抑制等に努める。④環境保全は、湾・灘、その特定の水域ごと、季節ごとの課題に対して、きめ細やかな取組みを推進し、関係府県は適切に助言等を行う。⑤栄養塩類と生物の多様性・生産性との関係、気候変動の影響などについて、水質の保全及び管理、気候変動影響への適応策などの実施に努める。⑥生物多様性の確保の調査研究は、「ポスト愛知目標」の策定作業や次期生物多様性国家戦略の策定との関連性を念頭に置く。(※「愛知目標」とは、2010年名古屋で開催の「生物多様性条約締約国会議」において採択された目標。それには、2020年までに「海域の10%を海洋保護区にする」と明記されている。瀬戸内海の多くはこの保護区に入っている。)
4.今後の課題と湾・灘協議会
今回の法改訂について、瀬戸内海を中心に活動している環境NGO「環瀬戸内海会議(環瀬戸)」が果たした役割は大きい。環瀬戸は15年の改訂時には、瀬戸内海沿岸や東京圏から多くの市民が参加し、ロビー活動を展開。具体的表現には欠けていた点もあったが、これ以上の埋め立てをさせないなど、今回の前進改訂の前提を作った。
今回の改訂に向けては、コロナ禍で専門家の役員が中心になって、中央環境審議会、同瀬戸内海小委員会、環境省や、および立憲民主党らの野党に対してロビー活動を展開。その提案は、法案や付帯決議で取り上げられた。特に付帯決議の4点はほぼそのまま盛り込まれている。その中には、環瀬戸の有力構成団体の「播磨灘を守る会」の漁民たちが提案した念願の「未利用埋立地等を利用しての磯浜復元」も含まれている。今後は湾・灘ごとの協議会に向けた運動で、正しい情報を伝えていきたい。府県や市町村の枠を超えた協議となり、環境市民団体の責任は大きい。
ただ、残念なのは法案の審議があまりにも短く、先議の参議院でも約3時間40分で採決に移り、その後も少ない審議で可決したこと。そのため、ニュースには載らず、国民は殆ど知らないことだ。瀬戸内海がきれいになりすぎ、魚やノリが取れなくなった、と考えている人は、少なくない。
最後に、『朝日新聞』6月16日「社説:改正瀬戸内法/豊かな海へ運用慎重に」を引用しておきたい。――
「今回の改正で沿岸府県が…環境基準の範囲内で、処理場から栄養塩を放出し「貧栄養化」の改善を図れるようになった。…半世紀に及んだ「規制」から「管理」への転換である。…周辺の環境影響評価と、放出後の確実な監視と科学的検証が欠かせない。改正法も定めているとおり、状況によっては変更や中止をためらうべきではない。…不都合が起きても計画を維持する硬直的な姿勢は禁物だ。…埋め立てや農林業の変化などによって、陸地と海洋の栄養分の循環バランスは崩れ、いまその回復をめざして、海産物の生育に適した「里海」づくりに注目が集まる。藻場や干潟の保全・再生、環境に配慮した護岸工事、プラスチックをはじめとする漂流ごみの回収など、多角的な取り組みで豊かな海を取り戻したい。」
(2021.7.11)