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●会報から

蒲生を守る会活動50年、その先へ

蒲生を守る会 佐場野 裕

★蒲生を守る会は、1970年4月23日に結成され活動を始めているので、2020年4月でちょうど50年という節目の年を迎えました。

50年前は、仙台市東部の海岸、七北田川河口の北側で仙台港の建設が始まっていました。当初の計画では蒲生干潟全体が埋め立てられることになっていたのですが、埋め立てに反対する市民有志が蒲生を守る会を結成し、粘り強い反対運動を繰り広げた結果、現在ある干潟が、元の干潟の約1/3の大きさにはなりましたが残される結果となりました。蒲生を守る会は、その後も残された蒲生干潟の自然環境を守るためのさまざまな活動を行ってきました。干潟の生態系の重要性と素晴らしさを市民に伝えるための自然観察会、月例の鳥類生息調査、会報「蒲生を守る会だより」の発行、行政への提言・要請などがその主な内容です。

★50年の歴史には蒲生干潟をめぐる様々な出来事がありましたが、中でも最も深刻な出来事は2011年3月11日の東日本大震災です。巨大地震と津波の直撃を受けた蒲生干潟は、様相が一変してしまい、ほとんどの動植物の姿は消えてしまいました。干潟の傍らにあって、観察の絶好のスポットであった標高6mの日和山は跡形もなくなり、周囲の民家の状況は筆舌には尽くしがたい光景でした。

変わり果てた干潟を前にして呆然とする私たちにとって、和白干潟を守る会、藤前干潟を守る会をはじめとする全国の仲間から様々な形のご支援が届けられたことは大きな力となりました。その支援をバネにして、会報緊急号の発行(2011年6月)や、二つのシンポジウム「東日本大震災による仙台湾湿地への影響」(2011年10月)、及び「仙台湾沿岸での災害復旧工事を考える!」(2013年11月)に向けて力を注ぐことができました。

震災直後は、時と共に生きものの姿が現われ始め、回復してゆく自然の力に驚く日々でもありました。千年に一度ともいわれるこのような大きな災害に際して、自然の生態系がどのように推移していくのかを観察し記録していくことは重要なことと考えられます。蒲生を守る会が活動を始めた翌年の1971年より月例で行っている蒲生海岸鳥類生息調査は、震災直後の4月から再開され、調査の対象を地形、塩分濃度、植生、底生動物、昆虫など可能な範囲に拡げて継続しています。(略)

★コロナ禍の影響で、長い間会議の開催ができない状況でしたが、2020年7月31日、久しぶりに、蒲生干潟再生協議会に替わる形で「蒲生干潟に関する情報交換会」が開かれました。その席上、私たちが要望していた協議会の再開がようやく実現される方針が、宮城県自然保護課より示されました。復旧工事の終盤の時期にあたり、これからの干潟の賢明な利用方法を真剣に考えていかなければなりません。

★蒲生を守る会は、50年間、一貫して蒲生干潟とその周辺の自然を守る姿勢を崩さずに活動してきました。この運動の継続は、これを支える広範な人々の共感と様々な形の支援がなければかなわないものです。あらためて、活動を支えてくださった皆様に深く感謝を申し上げます。もとより、蒲生を守る会は会員制をとっておりません。蒲生干潟に心を寄せる方々は、だれでも、蒲生を守る会の構成員です。これからの活動に対しても、共に歩んでくださるようお願いいたします。

(『蒲生を守る会だより』No.69、2021年4月23日から)

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JAWAN通信 No.136 2021年8月30日発行から転載)