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「東北は今も植民地だ」

~原発と再生エネルギーをめぐって~

中山敏則

秋田県の海岸沿いは巨大風車だらけである。海水浴場にも林立している。ところが首都圏には大型風車がわずかしか設置されていない。秋田では野放しである。その光景を目にしたとき、「東北の植民地化」が今もつづいていることを実感した。

秋田県三種町の釜谷浜海水浴場に並ぶ巨大風車。浜辺の景観は台無しだ。こんな光景は首都圏では見られない=2022年4月17日撮影

◆「地産地消」は詭弁

前号でお知らせしたように、秋田県では巨大風車が日本海沿いにずらりと並んでいる。約300基だ。防砂林の役割を果たしてきた海岸林(松原)がいたるところで伐採されている。13の事業者が最大846基の洋上風車を浅海域(浅瀬)で建設する計画も進んでいる。それらの電力は首都圏にも供給するという。

秋田県の海岸沿いは巨大風車だらけ=2022年4月18日、秋田市で撮影

一方、首都圏の1都3県には大型風車が65基しか設置されていない。自然や景観を破壊するからだ。

日本風力発電協会などによると、国内における風力発電の累積導入量は2021年末現在で約458万kW(2574基)である。地域別では東北が約180万kW(約910基)と圧倒的に多い。これにたいし首都圏1都3県の合計は約9万kW(65基)でしかしなかい。内訳は、東京都1万kW(8基)、神奈川県1万kW(5基)、千葉県7万kW(52基)、埼玉はゼロだ。

たとえば横浜市は、将来的には同市の年間消費電力約160億kWhをすべて東北の再生エネルギー(自然エネルギー)でまかなうとしている(『長周新聞』2021年4月8日)。とんでもない話だ。

東京都の奥多摩や神奈川県の箱根、丹沢山地などでは、大型風車やメガソーラー(大規模太陽光発電所)の建設は事実上規制されている。ところが東北は野放しである。風力発電やメガソーラーのためにあちこちで森林が伐採されている。海岸や浅瀬でも巨大風車建設が相次いでいる。「環境や景観の破壊につながる」と反対の声も出ている。首都圏の電力消費をまかなうために危険な原発を東北に押しつける。それと似たようなことがくりかえされている。古代からつづく「東北の植民地政策」そのままである。「再生エネルギーの地産地消」は詭弁である。

◆「東北の植民地化」

東北はかつて蝦夷(えみし)とよばれた。中央政府から派遣された征夷大将軍らによって征服され、「植民地」にされてきた。それはアテルイ(阿弖流為)の投降と処刑からはじまった。802年のことである。

〈東北にたいする「植民地政策」は以降もつづく。1000年以上にわたってである。東北は中央の一方的な論理によって蹂躙されつづけてきた〉(高橋克彦『東北・蝦夷の魂』現代書館)。

日露戦争の激戦地、二〇三高地で最前線に立たされたのも東北の兵士たちだった。

◆「白河以北一山百文」

東北を差別する象徴的な言葉がある。「白河以北一山百文」だ。白河から北の地域、つまり東北地方は「一山百文」程度しか値打ちがない、という意味である。戊辰戦争のさい、白河の関を越えて東北に攻め入った官軍(新政府軍)の高官が東北を侮蔑して言った言葉とされる。

一力健治郎は『河北新報』の創設者である。東北地方のブロック紙だ。健治郎は、この言葉がくやしくて、何とか見返してやりたいという思いから社名を『河北新報』とした。「白河以北一山百文」という東北を軽く見る言葉にたいし、それをはね返そうという強い思いを社名にこめたのである。1897(明治30)年のことだ。

結成45周年記念東京コンサートで観客を魅了したフォークグループ「影法師」。左から遠藤孝太郎さん、船山正哲さん、横澤芳一さん、青木文雄さん=2019年2月24日、東京都亀戸のカメリアホール

「影法師」は、山形県長井市に拠点をおくフォークグループである。1991年、『白河以北一山百文』という有名な曲を発表する。1987年に東北自動車道が全線開通すると、首都圏のゴミが東北各県に津波のように押し寄せてきた。それに業を煮やして作った曲である。

この歌に「白河以北一山百文」というタイトルをつけた理由はこうだ。ゴミの搬入という問題に、戊辰戦争=明治維新の勝者と敗者、中央対東北の構図が端的に現れている。東北にゴミを持ち込むのは、「あそこは遅れている」「山ばかりで人もいないから影響も少ない」と考えるからだ。それを甘んじて受ける背景には、長い間理不尽な扱いを受けて身についた習性がある。「長いものには巻かれろ」だ。その代わりの何かを期待するおねだり体質もある。そこには、「一山百文」と侮った者の傲慢と、蔑まれた者の卑屈がある。そのように考えた(影法師『現場歌手─影法師』ひなた村)。

影法師はこう歌う。

原発みたいに 危険なものは

すべてこっちに 押しつけてきて

豊かに暮らすは 東京ばかり

割に合わないな 東北というのは

ゴミも原発も あんたらのもの

そっちで何とかするのがスジだろう

ゴミにまみれて 生きてみろよ

原発背負って 暮らしてみろよ

この歌には「東北の植民地政策」にたいする怒りがこめられている。

◆「花は咲けども」

「影法師」は福島原発事故から2年後の2013年、『花は咲けども』を発表した。NHKから流れる復興支援ソング『花は咲く』への違和感からつくったアンサーソングである。NHKの『花は咲く』は、放射能に汚染されて人が住めなくなっても花は咲く、というニュアンスの歌である。「なつかしいあの街を思い出す」と歌う。これにたいし、影法師の『花は咲けども』はこう歌う。「花は咲けども春をよろこぶ人はなし 毒を吐き出す土の上 うらめし、くやしと花は散る」。

この曲は英語版も生まれた。2014年5月、山形放送(YBC)ラジオスペシャルが『花は咲けども~ある農村フォークグループの40年~』を放送した。影法師が『花は咲けども』を歌うまでの葛藤を記録した番組である。この番組は放送界で高く評価された。最高峰の賞であるギャラクシー賞や放送文化基金大賞などを獲得する。これをきっかけに、『花は咲けども』の認知度が一気にあがる。日本テレビ系列の「NNNドキュメント15」も、『花は咲けども』をめぐる影法師の思いや演奏活動を全国放送した。

◆「私たちは国に見捨てられた」

2011年3月に発生した福島第一原発事故で福島の人たちは悲惨な目にあった。故郷を追われ、苦しい避難生活を余儀なくされている人が今もたくさんいる。

大井千加子さんは福島県の南相馬市で福祉介護士の仕事をしている。大井さんは東日本大震災と原発事故で地獄をみた。

大井さんは南相馬市原町区の介護老人保健施設「ヨッシーランド」で介護長をつとめていた。その施設が大津波に襲われたのだ。看護職員1人と利用者36人が犠牲になった。大井さんは九死に一生を得た。3月11日である。

そうしたら、翌12日は福島第一原発の1号機で水素爆発がおきた。14日は3号機、15日は2号機も爆発する。4号機も出火した。

15日の午後、ヨッシーランドの利用者は連携病院へ移動をはじめた。放射能がふりそそぐなかでの移動だった。17日、福島市の特別養護老人ホーム「なごみの郷」へ再避難することになった。ヨッシーランドからの避難者を含め30人。引率者は大井さんただ一人である。

「なごみの郷」までの距離は60キロだ。亀裂が走ったり地盤沈下したりした道路を観光バスで移動した。「なごみの郷」に避難するまでの5日間、大井さんたちは高濃度の放射能を浴びつづけた。それはあとでわかった。

大井さんたちの避難経路に高濃度の放射能がふりそそぐことはSPEEDI(スピーディ=緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)でわかっていた。ところが、SPEEDIによる放射性物質の拡散予測を政府が公表したのは3月23日である。「なぜすぐに公表しなかったのか」という批判にたいし、政府は「混乱を避けるため」と答えた。政府の話をきいたとき、大井さんは思った。「私たちは国に見捨てられた」。福島の人たちは棄民として扱われたのである。

◆「東北は今も植民地だ」

福島第一原発事故は、東北の植民地政策が今もつづいていることを示した。

こんな指摘がある。

〈国民国家のなかの異境、日本のなかの捨石としての東北であり、さらにその究極の姿が「原発植民地」であったことを「3・11」は明確に教えている。〉(大門正克ほか編著『「生存」の東北史』大月書店)

福島県立博物館の赤坂憲雄館長は、東北は今も「植民地」だ、と嘆いている。

〈東北は今も「植民地」だと思っています。(略)東京電力福島第一原発が爆発する光景は衝撃的なもので、戦後の東北が東京に電気やエネルギー、安い労働力を供出してきたという現実をむき出しにしました。〉(朝日新聞デジタル、2021年3月17日)

こうした指摘にまったく同感である。

ちなみに、秋田県で巨大風車の建設を推進しているのは経済産業省官僚の天下り副知事である。秋田県の副知事は経産省官僚の指定席となっている。その副知事が乱開発や環境破壊をおしすすめている。

◆残骸放置の懸念も

風力発電は大量放置も危惧されている。約20年とされる寿命を一斉に迎えはじめているためだ。高額な費用がネックとなり、建て替え件数はわずかだ(『中日新聞』2019年12月23日)。放置も懸念されている。撤去費は中型機1基で1億~3億円もかかるとされるからだ。

たとえば千葉県が袖ケ浦海浜公園(袖ケ浦市)に設置した大型風車である。“ブレード(羽根)のない風車”として放置されている。

ブレード(羽根)をとりはずして放置された巨大風車=千葉県袖ケ浦市の袖ケ浦海浜公園

この風車は、県が海浜公園のシンボルとしてつくった。建設費は7000万円である。国から補助金をもらって建設した。運用開始は開園と同時の2004年4月である。支柱の高さは41m、ブレードの直径は29.7m。 「人や生き物にやさしい地球環境づくりのための自然エネルギーを活用し、公園内の電力をまかなう」が売りだった。公園で使われる電力をつくりだすだけでなく、余った電力を東電に売ることになっていた。ところがしょっちゅう故障する。維持補修費に毎年200万~300万円かかったという。そのため、ついにブレードをとりはずしてしまった。今は支柱(タワー)だけが残っている。撤去費の予算確保がむずかしいためと聞く。

今年4月に秋田県の巨大風車群を見学したさいも、風が吹いているのにブレードが回らない風車を何基かみかけた。風車は故障しやすいということだ。

故障したり、寿命を過ぎたりした巨大風車はどうするのか。将来は、使い物にならなくなった風車の残骸が秋田の沿岸部などに数多く放置されるのではないか。そのような問題もある。


JAWAN通信 No.140 2022年8月10日発行から転載)