巨大防潮堤は少し動き、干潟の自然は再生を始めた
◆奇跡的に甦った蒲生干潟
東日本大震災の大津波により壊滅的な打撃を受け、「沈黙の干潟」と化した蒲生干潟(仙台市宮城野区蒲生)は、奇跡的に甦った。2ヶ月後、底生動物の巣穴が多数見られ、一部から水が噴き出していた。干潟は呼吸を始めていた。その後、地形が徐々に復元し、消滅した動植物が復活し、活動を再開した。多くの鳥や魚も干潟を訪れるようになり、生命の賑わいは高まっていった。
干潟や海岸などの不安定な環境の下で適応・進化してきた生物群集は、自然かく乱に強い復元力を持つことを実感し、大自然のドラマに深い感銘を受けた。
◆沿岸部の自然を損なう災害復旧工事
しかし、沿岸のあちこちで復元した生物の生息地は、復興という美名の下に進められる災害復旧工事によって次々と破壊された。自然かく乱に耐性を持つ生物も、人為かく乱に対しては極めて弱かった。地域の自然への配慮なしに、早急かつ大規模に進められる巨大防潮堤造成等の大規模土木工事によって、沿岸部の自然は大きく損なわれていった。そして、巨大防潮堤は津波を乗り越えて甦った蒲生干潟にも築かれようとしていた。
2013年2月21日、干潟や池の一部を埋め立てて巨大防潮堤を建設する計画が宮城県より提示された。同年7月18日、内陸側の蒲生の町を工業地域に変える仙台市の土地区画整理事業計画が明らかになった。長年、支え合ってきた蒲生の町と干潟が消滅する危機が迫っていた。私たちは地域住民と共に、「地域の自然、歴史、文化と共存する真の復興」を求めて、様々な活動を行った。
2014年9月25日、県河川課より計画変更案が提示された。当初の計画と比較して、防潮堤の位置を内陸側に最大80mほど後退、いわゆるセットバックさせるという案だった。干潟の回復が確認されたので、生態系に配慮して変更したという説明だった。私たちの要望の一部は受け入れられ、干潟の直接の埋め立ては回避されたが、背後に広がる草地や湿地は消失してしまう。蒲生一帯を工業地域にする土地区画整理事業も着々と進んでいる。更なるセットバックや事業の見直しを求めて、国や県、市に要望書を提出し、観察会やシンポジウムを開いて市民やマスコミに訴える活動を続けたが、それ以上の展開はなかった。
◆蒲生干潟自然再生協議会が再開
2022年10月27日、標高7.2mの防潮堤の上に立ち、干潟を眺望する。セットバックによって生まれた場所は緩衝地として機能し、新たな自然が再生している。汽水池や水溜まりに多くの水鳥が集まり、羽を休め、餌をついばんでいる。雨水や地下水が貯まってできた淡水の堀や湿地には水生植物が繁茂し、様々な水生昆虫も見られるようになった。干潟周辺の生物多様性は、年々豊かさを増している。失った自然も多かったが、新たに生まれた自然もあった。
震災後、休止していた蒲生干潟自然再生協議会は昨年6月、ようやく再開され、干潟の自然再生に向けて、具体的な話し合いが行われるようになった。私たちも協議会委員と運営事務局員として、行政と協力体制をとりながら、経済優先の施策の問題点や方向性を正すべく発言し、活動している。
◆課題はつきない
一方、内陸側に目を向けると、惨事便乗型施設である石炭火力発電所が大量に煙を放出している。カーボンニュートラルを建前にCO2削減を謳う仙台蒲生バイオマス発電所の建設も急ピッチで進んでいる。来年操業予定のこの火力発電所の主燃料は、森林を破壊して製造した輸入木質ペレットであり、決してカーボンニュートラルではない。
仙台港対岸には、別のバイオマス発電所も建設中である。発電所、工場、倉庫等が立ち並び、その間を大型トラックが行き交う蒲生の町。工業地域に隣接する蒲生干潟の自然再生をどのようにはかり、どう保全していけばいいのか、課題はつきない。
◆蒲生を守れ、自然を愛する心を守れ!
9月から10月にかけて、仙台市内2つの小学校それぞれの依頼で講師を務め、4年生の子供たちと干潟の生きもの観察を楽しんだ。地域の自然と歴史、文化を大切にすることがSDGsにつながることを一緒に学び、防潮堤の上から新しい蒲生干潟の景観を満喫した。
空と海の青、砂浜の白、草地の緑、そして干潟の褐色が織りなすグラデーション。この美しい景観を未来に残したいと強く思った。改めて原点に立ち返り、粘り強く活動していくことをそっと心に誓った。「蒲生を守れ、自然を愛する心を守れ!」 蒲生を守る会の活動も今年で52年目となった。