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和白干潟を守る会 35年の歩み

和白干潟を守る会 代表 山本廣子

◆結成のいきさつ

私は博多湾和白干潟のすぐそばで生まれ、和白干潟で泳いだり遊んだりして育ちました。

大好きな和白干潟に埋め立ての危機が訪れました。1978年、博多港港湾計画で和白干潟を含む博多湾東部海域の全面埋め立て計画が発表されました。私は大変残念に思い、1987年に友人の協力を得て、和白干潟を埋め立てないでと、「和白干潟保全願い」の請願書を300名の署名を付けて福岡市議会に提出しました。

請願書は奇跡的に採択されて和白干潟は残ることになりましたが、和白干潟の大切さを伝え続けないとまた埋め立て計画が出されると思い、友人たちと共に1988年に100名ほどで「和白干潟を守る会」を結成しました。

◆「和白干潟」の命名

和白ではまだまだ埋め立て推進派の方々がおられて、当初、私は無言電話や嫌がらせを受け、家の前のJR土手の火事まで起こりました。つらいこともありましたが、自然を守る活動は間違っていないと確信していましたので、耐えることができました。

「香住ケ丘埋め立てを考える会」や「博多湾の自然を守る会」など多くの方々の協力を受けながら、また「アースデイ」や「ラブアース・クリーンアップ」などの呼びかけにも応えながら、連携を広げました。

私がはじめにしたことは「和白干潟」の命名です。保全活動をはじめるにあたって守るべきものを明確にしたいと思い、和白(地名)と干潟をつないで「和白干潟」と名付けました。「和白干潟」のパンフレットを作り、全国に広めました。活動を続けられたキーワードは、明確さと定例化だろうと思います。

◆活動スタイル

和白干潟を守る活動は、仲間とともにクリーン作戦や水質調査、自然観察会、和白干潟まつりなどを企画して、定例化してきました。

クリーン作戦

現在も、定例会議で皆と話し合いながら決めていくという活動スタイルを続けています。毎年1回の総会で活動を振り返り、活動方針を立て、係を決めています。このような民主的な会であったことが、会が長く続いたことにつながったのだと思います。

和白干潟の保全活動が20年くらい続くと、『和白干潟通信』を配っていても「お疲れさま」と言われるように変わってきました。干潟通信を読んで入会する人も出てきて、継続した活動により、信認されるようになってきました。

観察会

◆鳥類調査と「山・川・海の流域会議」

長い活動の中で、多くのすばらしい仲間との出会いや別れがありました。遠くに転居された方も、引き続き会員として支援してくださっている方も多く、ネットワークをつくっているJAWAN(日本湿地ネットワーク)の総会などで東京に私が行った時には、一緒に協力いただいています。干潟まつりの時には関東方面から参加してくださる会員の方もおられます。

1991年から日本野鳥の会福岡支部のガン・カモ調査に協力して年1回、和白海域の水鳥調査をしています。1996年からはJAWAN主催「シギ・チドリ調査」に協力し、年9回の博多湾東部と今津のシギ・チドリやクロツラヘラサギなどの希少種の調査に協力しました。この調査は現在、環境省「モニタリングサイト1000シギ・チドリ調査」に引き継がれています。鳥類調査活動も継続して行ってきました。

2012年には和白干潟の集水域保全の連携活動を呼びかけて、立花山と唐原川と和白干潟の保全グループで「山・川・海の流域会議」を発足させ、観察会や清掃活動や講演会などを企画しています。

◆『和白干潟通信』

1996年には和白干潟を守る会のホームページを開設しました。現在は4名で協力しながらホームページを更新しています。会員の連絡網「和白メール」が開設されて、連絡が楽になりました。

パンフレットやリーフレット類も多く出しています。『和白干潟通信』は1988年12月10日が第1号です。その前にも準備号を出しています。2023年1月現在は144号です。『和白干潟通信』は現在6名で編集しています。和白干潟を守る会は、ほとんどの活動を数名で協力して進めています。1人では荷が重く、分け合ってやれば1人分は少なくて済みます。協力体制の中で、活動を継続しています。

◆「にほんの里100選」と「プロジェクト未来遺産」

2009年は、朝日新聞社と森林文化協会の「にほんの里100選」に和白干潟が選ばれました。2013年は、日本ユネスコ協会連盟の第5回「プロジェクト未来遺産」に和白干潟を守る会が登録されました。

しかし和白干潟のラムサール条約登録は実現していません。あきらめずに続ければ、きっと願いはかなうと信じています。2020年より3年間、世界中で新型コロナウイルス感染症が広がり、和白干潟の保全活動も制限されましたが、感染対策をとって活動を続けています。

和白沖人工島などの開発に翻弄された和白干潟ですが、これからも和白干潟のすばらしさを伝え、保全活動を仲間とともに続けていきたいと思っていま

す。活動をはじめた私の世代も70代になりました。後継する若い方々が、私たちの住処(すみか)である自然を守る気持ちで後を継いでくれることを心より願っています。そのための活動も続けていきます。皆で地球の自然を守りましょう!


JAWAN通信 No.142 2023年2月10日発行から転載)