大浜清さんを偲ぶ
~干潟保全に献身~
千葉の干潟を守る会」の代表などをつとめた大浜清さんが6月9日に永眠された。96歳だった。大浜さんの半生は干潟保全運動の歴史とかたく結びついている。大浜さんは優れた実践活動家だった。東京湾の盤洲干潟、谷津干潟、三番瀬の埋め立てを中止させる運動を牽引した。山下弘文さん、辻淳夫さん、山内美登利さんなどと日本湿地ネットワーク(JAWAN)の結成にも尽力された。
1971年3月、「千葉の干潟を守る会」が誕生する。代表は大浜さんがつとめた。大浜さんたちは、「魚介類や鳥たち、そして私たち人間自身のために干潟を守ろう」と運動した。東京湾の埋め立て中止と干潟の保全を求める請願を国会に提出する。請願は1972~73年の国会で採択された。これによって盤洲(ばんず)干潟(小櫃川河口干潟)の埋め立ては中止になる。
千葉の干潟を守る会は谷津干潟の保全運動もくりひろげた。習志野地先の谷津干潟は大蔵省所管の国有地だった。そのため公有水面埋立法では埋め立てることができない。だが習志野市が埋め立てを計画する。「守る会」はこの干潟を「谷津干潟」と命名し、埋め立て反対運動を進めた。周辺住民も立ち上がった。世論を味方につけた運動が実り、市は埋め立てを断念する。1984年である。1993年6月、谷津干潟は干潟としては日本初のラムサール条約湿地に登録された。
1993年3月、千葉県が三番瀬の埋め立て計画を発表する。計画を中止させるため多彩な運動を展開した。大浜さんは、65団体が結集する幅広い共闘組織「三番瀬を守る署名ネットワーク」の代表もつとめた。埋め立て反対の署名は30万人に達した。
埋め立て反対が社会的な力となった。現実を動かす力となった。2001年春の県知事選では三番瀬埋め立て計画が最大の争点になる。埋め立て計画の白紙撤回を唯一の公約に掲げた堂本暁子氏が当選し、同年9月に埋め立て計画を中止した。
その4か月後、堂本知事は三番瀬円卓会議を発足させた。円卓会議では三番瀬・猫実川河口域での人工干潟造成が最大の焦点となった。造成の目的は、国策の第二東京湾岸道路をこの海域に通すことである。堂本知事が自民党県連に約束したことだった。24人の円卓会議委員のなかで最後まで人工干潟造成に反対したのは大浜さんだけである。大浜さんが本物であることを証明する出来事だった。
円卓会議は大浜委員や三番瀬保全団体の猛反対を黙殺し、人工干潟造成を盛りこんだ提言を強行採択した。県は、この提言にもとづき人工干潟造成計画を推進する。だが三番瀬保全団体のねばり強い反対運動によって2016年10月に計画を中止した。第二湾岸道路の建設も食い止めた。合掌。