諫早湾干拓事業は“横綱格の失敗事業”
─TBS報道特集「諫早湾“開門”求める漁師の闘い」─
2024年6月15日、TBSテレビの報道特集が「諫早湾“開門”求める漁師の闘い」を放送しました。諫早湾の閉め切りによって有明海の漁業は危機的状況が続いています。そのため漁業者たちは開門調査を強く求めています。
長崎大学名誉教授の宮入興一さんは、国営諫早湾干拓事業(諌干=いさかん)を公共事業の観点から研究してきました。宮入さんは諌干を「日本の公共事業のなかでも“横綱格の失敗事業”」と指摘します。
しかし農林水産省は開門調査を拒み続けます。番組はそうした理不尽な実態を鋭くえぐりました。一部を紹介させていただきます。
◆有明海は宝の海だった
有明海はかつて、日本の干潟の約4割を占める広大な干潟に支えられ、宝の海とよばれていた。その象徴は高級二枚貝のタイラギである。タイラギ漁師だった平方宣清さんは言う。「2時間で100キロぐらいとれた。1日で20万円ぐらいの収入があった」。
そこにもちあがったのが「諌干(いさかん)」である。2530億円をかけ、有明海の一部である諫早湾の奥を潮受け堤防で閉め切り、農地を造成するという巨大公共事業である。
最初は食糧不足を解消するための「米の増産」が主な目的だった。時代が変わり、米余りで減反政策がとられるようになっても事業計画は中止されなかった。目的を変えながら生き残り、最終的に「防災」と「農地の確保」をその目的として強行された。
◆ギロチンの直後から有明海に異変
1997年4月、諫早湾の奥が鉄板で閉め切られる。その様子はギロチンとよばれた。ギロチンが落ちた直後から有明海に異変が起きた。タイラギをはじめ多くの貝類が有明海から姿を消し、名物のノリは歴史的な大凶作となった。
◆漁業者たちが決起
漁業者たちは抗議行動を起こす。「有明海の異変は諌干のせいだ」「水門を開放しろ」と訴えた。
漁業者たちは、国が潮受け堤防の門を開けて調査するよう訴訟を起こした。しかし国は「干拓事業は海の異変とは因果関係がない」と主張し、徹底抗戦する。
佐賀県太良町のノリ漁師、大鋸武浩さんは言う。「諫早湾干拓の影響が大きいと確信しています。あれができあがってから冬の赤潮が大発生するようになった。拡大がひどくなっていることは肌身に感じています」。
大鋸さんはこれまで30年間、ノリの養殖を続けてきた。だが、ついにこの冬(2023年から2024年にかけてのシーズン)、ノリをあきらめて廃業した。「たぶん佐賀県西部地区は、10年後15年後になるとノリ業者がいなくなるんじゃないか。それくらい海の状況は悪化しています」と話す。
◆開門調査を命じる判決が確定
2010年、福岡高裁で開門調査を命じる判決がでた。諌干に否定的だった当時の民主党政権は上告せず、これが確定する。すると今度は、農業に悪影響がでるとして、干拓地の営農者が国を相手に、門を開けないことを求める裁判を起こす。
2017年、長崎地裁が開門の差し止めを認める判決をだす。諌干を推進してきた自民党政権は控訴せず、これが一審で確定する。これ以降、国は「門を開けない」という姿勢を明確にした。
諫早湾閉め切りから四半世紀が過ぎ、海の研究者たちによって 有明海異変の理由が明らかになった
◆諫早湾閉め切りが有明海の潮流に致命的影響
海の栄養分となる窒素やリンは川からもたらされる。有明海では九州一の大河、筑後川がその主な供給源となる。
有明海の奥にはかつて反時計回りの強い潮の流れがあり、筑後川からの栄養分をほどよくかきまぜ、分散させていた。
有明海の潮流を調査してきた熊本県立大学の堤浩昭学長(海洋生態学、沿岸環境科学)は説明する。
「反時計回りの潮流がなぜ起きるかというと、上げ潮のときに、西側は諫早湾に入る水と佐賀県の奥のほうに入る水の二手に別れるため、水が半分になる。東側はそういうのがないからまっすぐ上がる。それによって、流量の差で反時計回りの潮の流れが起きる。諫早湾の干拓事業は致命的な影響を与えた。あそこを閉め切った分、(諫早湾の)中へ水が入らなくなった。そうすると、東側とあまり変わらなくなる。ただの往復流になってしまうから、筑後川から入ってきた窒素とリンはそのまま行ったり来たりして、ずっと留まる分が増える」
◆潮流の変化で赤潮が発生
諫早湾を閉めたことによる潮流の変化が筑後川の栄養分を停滞させた。赤潮(プランクトンの異常増殖によって海水が変色する現象)を発生させ、海の栄養分を奪った。
大量のプランクトンはやがて海底に沈む。とくに水温の高い夏は、その死骸が分解される際に大量の酸素を消費し、海底は酸素不足になる。酸素不足の海底では生物は生きられない。貝など海底にすむ生き物は魚介類のエサとなるため、さらに多くの海の生き物が影響を受ける。
◆調整池汚濁水の一方的排出が漁業不振にめちゃく関係
諌干の影響は潮流の変化にとどまらない。潮受け堤防によってできた広大な調整池。この池には一級河川本明川の水が絶えず流れ込んでいる。そのため閉め切ることはできず、ひんぱんに門を開けて、池から海へ排水のみをおこなっている。
調整池の水は、当初は干拓地の農業に使う予定だった。だが水質が悪く、ほとんど使われていない。ため込むことで水質が悪化した真水が今、年間5億4000万トン(2021年度・九州農政局)も有明海に一方的に垂れ流されている。
長年、調整池を調査・研究している生物学者の高橋徹さんは、調整池の水を諫早湾に一方的に排出していることが有明海の漁業不振にめちゃくちゃ関係していると言う。
◆調整池に海水が入れば海への悪影響は軽減される
高橋徹さんは、水門を開け続けて双方向の流れをつくり、調整池に海水が入れば海への悪影響は大きく軽減されると言う。さらに、こう話した。
「開門すれば良くなることは明白になっている。裁判の中で自然科学の話がどこかに飛んでいっているように感じる。海や海の生物は自然の法則にしか従わないということが、裁判所も頭から抜けているのではないか」
諫早湾干拓事業の目的の一つは農地の確保だったが、 優良農地は名ばかりで、入植者の撤退が相次いでいる
◆優良農地は名ばかりだった
勝田孝政さんは干拓地に最初に入植した営農者の一人である。非開門を求める裁判の原告になることが入植の条件だった。
「僕らは完全に巻き込まれたかたちです。裁判で勝たんとここで農業はできないということで、ろくな説明もないまま裁判の紙に名前を書かされた」
優良農地というふれこみだったが、実際は違ったと言う。
「最初はずっと石拾いをした。貝殻も落ちている。トラクターで耕作すると、魚網もいっぱいでてきた。優良農地でもなんでもなかった。意図した経営は全然できていないし、収量は全然とれなかったですね」
◆最初の営農者は4割が撤退
勝田孝政さんを含め、干拓地で営農が開始された2008年に入植した営農者は41経営体。そのうち4割(16経営体)がすでに撤退した。
諫早湾干拓事業で生まれた広大な農地は、干拓地を管理する長崎県農業振興公社が5年ごとに契約を更新するリース方式で営農者に貸している。
勝田さんは干拓地で農業をするため、2億円近い投資をおこなった。だが入植して10年目、一方的にリース契約を打ち切られ、農地から追い出されたという。
「書類の不備とか、審査に通すことができませんとか、一方的ですよね。文句を言ったら、紙一枚で出て行けとすぐ言われます。そういったところもみなさん怖くて言い出せないと思う。悪質ですね」
◆諌干は“横綱格の失敗事業”
また、国は諌干の防災効果をうたうが、この潮受け堤防は海からの高潮にしか効果がない。
諌干を公共事業の観点から研究してきた長崎大学名誉教授の宮入興一さん。
「(諌干のように)河口に巨大な調整池を設けて水害対策をやっているところが全国のどこにありますか。ひとつもないですよ。つまりそれは口実です。これは非常に大きな事実誤認とフェイク情報ではないか。これを農水省も国も県も絶えず垂れ流している。この事業は日本の公共事業のなかでも“横綱格の失敗事業”だと思う。国はそのことを暴露されたくない」
◆農水省は「開門しない」を話し合いの条件につけた
漁業者の失望は大きい。佐賀県太良町の漁師・平方宣清さんは憤る。
「この海を本当に再生しようという考えは一向に持っていないんじゃないか。とにかく早く諫早湾問題を金で解決して終わらせたいという逃げの一途(いちず)じゃないか。地域には地域の生活をする基盤がちゃんとあって、そこで今まで地域が発展してきた。その源を国がつぶしていったら国民が潤うわけがない。国民が潤わなかったら国が栄えるわけがない。真逆の行政をやっているということで、本当に怒りを覚えます」
◆前提をおかずに皆で解決の道を模索すべき
国(農水省)はなぜ開門調査を拒み続けるのか。取材したRKB毎日放送の里山千恵美記者は述べた。
「2010年の開門判決によって国の開門義務は依然として存在している。漁業者側は門を開け放てと要求しているわけではない。求めているのは開門による調査だ。それさえも拒むということであれば、開けることで国にとってなにか不都合な事実が明らかになることを恐れているのではないかと勘ぐりたくなる」
里山記者はこうも話した。
「事業計画がもちあがった当時、またギロチンが落ちたときでさえも、干潟の重要性や有明海がなぜ豊かなのかということはよくわかっていなかった。しかし今、自然科学の研究者たちによってその理由が明らかになってきている。有明海再生のためには、そうした最新の科学的知見や、そしてなにより、この海で生きてきた漁業者たちの経験にもとづいた知識や知恵に真摯に耳を傾けることが重要ではないか。もちろん開けることに不安を抱く地元の方や営農者の声も聞くことが大事だ。前提をおかずに、さまざまな立場の人のいろいろな意見や知恵をもちより、皆で解決の道を模索する以外に地元の方が納得できる解決は望めないのではないか」