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中池見湿地を守り続けて

─「緑と水の会」創立35周年に思う─

敦賀・緑と水の会 笹木智恵子

 11月17日でローカル環境NGO「緑と水の会」が発足(1990年)して35周年となった。この間、時代の変貌は著しく、発足時に比べて隔世の感がある。会員の多くも年を重ね、子供たちの世代となっている。環境問題も温暖化、異常気象・災害など地球規模の事柄から、PFAS(有機フッ素化合物)やマイクロプラスチック、香害など、より複雑で深刻な状況となっている。

◇      ◇

 私たちが活動を始めた頃は、「昭和30年代までは、木の芽川扇状地末端に位置する本町や神楽町などでは、随所に手掘りの井戸から湧き水が出て、駄菓子屋や飲食店の井戸水につけられた“すいせん饅頭”は、夏の風物詩であった」「しかし、昭和40年ころからは、まったく自噴しなくなるとともに、海岸地区の一部では塩水化現象も見受けられる」(昭和60年6月発行「敦賀市史通史編上巻」)とのどかな庶民生活で、目に見える環境問題が多かった。

 敦賀の湧き水は“掘り抜き”と呼ばれ、至る所に湧き出ていて、通学時や遊びの時に喉(のど)をうるわせたものである。このような状況の中で将来の環境を案じて有志により発足したのが「緑と水の会」だった。

ラムサール条約登録湿地の中池見湿地(福井県敦賀市)。NPO法人ウエットランド中池見や「緑と水の会」が守り続けてきた。

*産業廃棄物最終処分場問題 1990-2000

 発端は「敦賀ゴミ戦争」。全国から敦賀への廃棄物の流入問題で、気が付かないうちに民間の廃棄物最終処分場が稼働していて、行き場を失っていた廃棄物を受け入れていたのである。

 その処分場が満杯となり、県へ増設申請をしたことから表面化。その場所が市民の飲み水の取水河川「木の芽川」の上流に位置していたことから、水質汚染を心配しての学習会から始まった。原発敷地造成のため砕石した山にできた穴を廃棄物捨て場にしていたのである。「原子力発電所がゴミを連れてきた」と言われた所以である。

 私たちの懸念表明や活動開始を受けて市内の各種団体なども動き出した。が、この問題の根は深く複雑であった。最終的に許可量の13倍、119万立方メートルの違法投棄を黙認することとなり、県の解決策に対しても厚生省(当時)が「違法」の見解を示したことで2000年秋にようやく搬入ストップ、業者の倒産という形で収束した。しかし残されたゴミの山の対策費用は回収のメドがないままの行政代執行で約100億円、未だ汚水処理施設を稼働させ続けなければならないことに。現在、搬入自治体と費用負担について裁判沙汰となっている。

*液化天然ガス(LNG)備蓄基地建設問題 1992-2002

 また1992年6月には当時の敦賀市長が「大阪ガスの液化天然ガス(LNG)備蓄基地誘致」を表明するなど、私たちは処分場問題と並行してその対応にも追われることになった。

 建設予定地となった中池見(地籍名)も現地踏査と資料収集の結果、奇跡的に残っている希少な場所と判明した。環境アセスに対して意見は付けられたものの評価書は承認され、着工に。これに対してナショナルトラスト運動を展開し、立地場所の見直しを求め、啓発・保存活動を行った。国内立地場所外の多くの心ある人々、機関や団体、研究者などの力添えがあって、1999年には「着工の10年間延期」を、2002年には「建設計画中止」が表明され、05年には「事業予定地を敦賀市に寄付、撤退」となった。

全国的に新田開発が始まった江戸時代元禄期以前から農耕が行われていたという中池見。残念ながら、1992年に浮上したガス基地計画で美しい風景とともに農耕文化も消滅した

*ラムサール条約登録への道のり 2002-2012

 ともに長い活動だったが一段落を見て、中池見の永久保存を見据えて「ラムサール条約登録湿地」にと更に調査や啓発活動を展開することになり、2012年に「中池見湿地」として登録認定を受け、奇跡的に残すことができた。

 しかし登録と同時にまたまた難題が。今度は北陸新幹線ルート問題が表面化。登録されたばかりの所へ大臣の着工認可が下りたのだ。認証式のあったルーマニアでの締約国会議から帰国と同時に東奔西走となった。これらのことついては何度かJAWAN会報で報告させていただいるので省略するが、まったく息つく暇もないほど国内外を走り回った35年といえる。

中池見湿地付近の北陸新幹線ルートと後谷(うしろだに)の自然環境復元箇所

*北陸新幹線中池見ルート問題とその後 2012-2025

 北陸新幹線は昨年春に開業、敦賀から東京まで繋がったが問題はまだ終わっていない。着工認可後に不可能と言われたルート変更ができたが、中池見湿地登録エリアを完全に回避できず、重要な集水域、深山(みやま)にトンネルが掘削された。

 この工事については、着工前から警告してきた「後谷」への沢水の枯渇がある。長年の周辺観察から工事主体の鉄道・運輸機構(鉄道建設施設整備支援機構)に対して情報を提供、懸念を示してきた。機構もそのことを認識し、掘削位置や工法の変更など、私たちが求めてきたラムサール条約に基づく「環境管理計画」を策定して慎重に対応してきた。だが、予測通りの結果となり、ミチゲーションの最終手段「代償」措置としてガス基地計画時に排土(はいど)捨て場となり消滅した田んぼの跡「後谷」の盛土撤去、自然環境復元となった。

ガス基地計画での公園エリア造成の排出土で盛り土され消滅した後谷のかつての田んぼ跡

 当初、他の工事計画での盛土撤去は事業外としてきた所である。機構としてもこの工事は最大の決断となり、この秋に完了した。私たちが最初に訪れた時の地形、景観に近いものが戻ってきた。異例ともいえる対応であった。また機構として引き続きしばらくはモニタリングを行い観察していくことになった。いずれにしても奇跡に奇跡を生んだ中池見である。JAWANの皆さんをはじめ異分野の多くの人々のネットワーク、力添えの賜物であり、感謝に絶えない。大切に見守っていかねば、と考えている。

*振り返りと今後の問題

 活動を振り返ると、約10年ごとに大きな環境問題が起こり、その対応に追われた感がある。最初は廃棄物処分場問題とガス基地計画。その後の10年は中池見の永久保存を目指してのラムサール条約登録への各種課題(登録条件と広さ基準)のクリアに。そして、登録が実現したと同時に新幹線問題が。ルート変更への取り組み、工法などの変更と事後対策、自然環境復元に10年と。ただ新幹線のルート変更、事後の自然環境復元計画が実現したことは画期的なことである。鉄道・運輸機構としても登録湿地内での工事ということで私たち保護団体や市民団体との意見交換を行いながら、慎重に実施してきたことはいい経験であったと思われる。

鉄道・運輸機構による自然環境復元工事によって元の地形に戻った後谷

 行政対策にと設立したNPО法人ウエットランド中池見は昨年(2024年)、新幹線の開業、事後対策を見届けて20年の節目をもって解散した。その後は法人の中核を担ってきた「緑と水の会」が引き継ぎ、中池見湿地など、ふるさと敦賀の環境保全を視野に活動を展開することにしている。

 最後に、中池見湿地にとって新幹線工事以上に水環境に影響を及ぼし、世界的に注目の「中緯度地方の低湿地に堆積する屈指の厚さと歴史を刻む泥炭層」の死活に繋がりかねない事業「国道8号敦賀バイパスの4車線化計画」が残っている。いつまでたっても安心できない中池見湿地である。

 また、今の世の中を見渡すと「自然エネルギーの活用だと至る所で行われている大規模な太陽光発電所や風力発電所などは人間の生活圏もさることながら動物たちの生活の場も破壊している。棲み分けをしてきた先人の規範が崩されている。動物たちにとっても受難の時代といえるのではないだろうか。人間の欲望には切りがない。より豊かに、より快適に、より大きな利益をと。未だ後始末もできない放射性廃棄物を排出し続ける原子力発電所もまたもや頭をもたげてきている。敦賀には西方ケ岳を挟んで「もんじゅ」「ふげん」と銘打った原発がある。「そのうち“おしゃか(お釈迦)”になって阿弥陀様が西方浄土へ導いてくれるかも」と冗談混じりに揶揄(やゆ)され、苦笑したことがあった。冗談で済まされない深刻な環境問題山積の世の中になっている。」

 面倒な活動にはなかなか後継者が現れない時代。私たちも動ける間は精一杯と思うこの頃である。


JAWAN通信 No.153 2025年11月30日発行から転載