不忍池を守った運動を振り返る
─しのばず自然観察会が50年史を発行─


東京の上野公園に位置する
◆不忍池の野球場化を阻止
不忍池を含む上野公園も開発の圧力にさらされてきた。たとえば不忍池を野球場にしようという動きである。これは戦後間もない1949年頃に起こった。
不忍池の野球場化は、当時の文化人を真っ二つに割る大論争となった。たとえば東京大学の南原繁総長は反対、野球大好きの詩人サトウハチロー氏は賛成、という具合である。都議会では、極少数派の革新系議員などを除き多数派が野球場化に賛成という状態だった。
だが、地域の商店主や上野の文化施設関係者、文化人らが中心となり、反対の声が徐々に高まる。地元商店街の代表らが野球場建設の頭目である正力松太郎氏(読売新聞社社主、読売巨人軍オーナーと
これがきっかけとなって不忍池で祝賀の花火大会が開かれ、現在の江戸趣味納涼大会・うえの夏祭りにいたっている。

◆広範な都民の運動で地下駐車場建設も中止
1986年3月は、不忍池に地下駐車場を建設するという話が持ち上がった。
地下駐車場建設の推進派は、上野広小路の根岸写真館主を代表とし、事務局を上野観光連盟内に置いて専従職員を雇うという体制を組んだ。それに対し、反対派は別に仕事を持つ普通の市民ばかりだ。このままでは勝ち負けは明らかだった。
ところが思わぬところから反対派に助っ人が現れた。「台東協同法律事務所」の弁護士さんたちである。このような弁護士さんは「まちべん」と呼ばれていた。地域の人々の生活を守り、社会正義を推進するという、あまりお金にならない仕事にとりくむ町の弁護士だからだ。
「不忍池を守る会」「しのばず自然観察会」「台東協同法律事務所」「
より広い都民の運動としていく。不忍池の価値を訴えるとともに、単なる反対運動ととられないよう、私たちが求める不忍池像を明らかにしてアピールしていく──。
これを受けて1989年4月27日に「不忍池を愛する会」を結成し、駐車場建設反対と不忍池再生を訴えることにした。同年6月3日、快晴の不忍池水上音楽堂(現・野外ステージ)で、「出帆! しのばず丸」という看板を掲げて発足集会を開いた。
「不忍池を愛する会」には、「台東協同法律事務所」「しのばず自然観察会」「不忍池を守る会」「谷根千工房」「下町みどりの仲間たち」の5団体と個人が結集した。
「不忍池を愛する会」は、不忍池の地主である東京都に向けた不忍池駐車場計画反対の陳情署名集めのほかに、不忍池の調査や文化的意義を訴えるさまざまなイベントをくりひろげた。不忍池の水系調査としての
1990年3月、「不忍池を愛する会」は日本科学者会議東京支部や首都圏の研究者と協力し、「不忍池地下駐車場問題を考えるつどい」(シンポジウム)を共同で開いた。
シンポジウムでは、「しのばず自然観察会」の小川潔さんが「不忍池の環境の価値と保全の重要性」と題して基調報告をおこなった。
在日外国人からはこんなアピールが発せられた。「駐車場推進派はモータリゼーション促進を国際化というが、真の国際化とはそれぞれの国や地域の特性を理解・尊重し発展させることだ」。先進諸国の大都市では、車は周辺部に駐車し、中心部には公共輸送機関や徒歩で入るのが常識、と教えられた。このシンポジウムは朝日新聞、毎日新聞、東京新聞などでも報道され、大きな反響を呼んだ。
これを機に情勢が急変する。台東区議会や上野の商店からも、「不忍池には手をつけるべきでない」との声があがりはじめた。区議会でも、一貫して不忍池の地下駐車場建設に疑念を表明し続けてきた議員に加え、別の議員も「自然保護が大事」と唱えはじめた。区議会与党の幹部だった飯田つね子さん(上野駅前の旅館主)も、竹内誠東京学芸大学教授(後の江戸東京博物館館長)とのラジオ番組の対談で不忍池の大切さを語った。
こうした結果、台東区長(当時)の内山栄一氏も、「そんなに反対があるなら、不忍池地下駐車場はやめた」と発言するにいたる。内山区長は、台東区谷中地域の町並み保存とまちづくりに熱心だった。駐車場建設計画はこれで一時ストップとなった。
ちなみに、内山区長は在職時、台東区のまちづくりをPRする本を企画・発刊した。その中に、「しのばず自然観察会」の環境保護活動を紹介するページを入れた。編集事務局を担当した区役所広報課の話によると、区長は「区とは違う視点からではあるが、真剣にまちづくりにとりくんでいる団体」として「しのばず自然観察会」を評価したという。
こうして、不忍池の地下駐車場建設計画も、地域住民、芸術家をはじめとする広範な都民・市民の保護運動によって中止になった。不忍池は守られたのである。

◆各地の自然保護運動と連携
「しのばず自然観察会」は他団体との協同・連携も重視してきた。
1970年代は、大井ふ頭の埋め立て地によみがえった自然を残す運動も起こった。「大井埋め立て自然観察会」のとりくみに「しのばず自然観察会」も連帯し、パンフレットの普及などに努めた。運動の結果、埋め立て地の一部が都立東京港野鳥公園として保存された。
1990年代は、東京湾奥部に残った貴重な干潟・浅瀬「

高尾山における圏央道(首都圏中央連絡自動車道)のトンネル建設反対運動とも連帯した。「高尾山自然保護実行委員会」に加わり、夏の裏高尾集会に毎年参加した。集会当日は、午前中に裏高尾周辺で自然観察登山をおこない、昼からは裏高尾の集会と「天狗の行進」に合流するのが常だった。残念ながら圏央道が開通したため、集会は2011年で終了した。だが、裏高尾行きは「しのばず自然観察会」の自然観察ハイキングとして2016年まで続けた。
このように自然保護団体の連合・連携が進むなかで、1990年代は都心でも自然保護・観察団体の連携が起きた。しのばず自然観察会は、荒川区の旭電化跡地によみがえった水辺を残そうとした「下町みどりの仲間たち」や「いたばし野鳥クラブ」などと合同観察会を催し、それぞれのフィールドを紹介したり、「下町水辺のシンポジウム」に参加したりした。
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「しのばず自然観察会50年史」はA5判、303ページ。価格は2200円(本体:2000円)。申し込みは地湧社へ。TEL:03-5842-1262 FAX:03-5842-1263。